21歳を目の前にしてなりたい自分、目指す自分について考えた

雑記、コラム

こんにちは!ノリです。

私の誕生日は5月の23日。もうすぐ21歳です。やはり、年齢なんて気にしないと思っていても気になるものですね。

年齢を気にするのやめてもっと自由に生きようよ!というお話

そういえば新年になっても今年の抱負みたいなことをやらなかったので、ちょっと「なりたい自分」、「目指す自分」について考えていきます。

割と好き勝手話していきますが、「こんな風に考える人もいるんだなぁ」と思っていただければ幸いです。

 

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なりたい自分について

なりたい自分というのは、目指す自分とイコールです。

基本的に、目指す姿は自分史上最高です。昨日より今日、今日より明日を意識して、日々成長しようとしています。それは、武井壮も同じことを言っています。

僕のキーワードは「毎日自分史上最高」。若いときのあの頃が自分の人生で最高だったとか、あのプロジェクトを成功させた日の自分が最高だったなとか、そうじゃなくて、毎日、今日の自分が人生で最高の自分だと思えるように生きるということがテーマです。  ―武井壮

だから具体的になりたい自分というのはないのかもしれません。ゴールは決めてませんから。終わりがない反面、いつ終わってもいいのです。

人生には、RPGと違って、レベル99というのがありません。そもそも、今の自分のレベルすらわかりませんし、他の人はその人というゲームの中でのレベルなので、比較することもできません。

じゃぁ何のために成長するのか?という質問があるかもしれませんが、それは私が、「ただ生きる」のではなく、「よく生きる」方を選ぶからです。

それは、古代ギリシャの哲学者、ソクラテスも同じでした。

大切にしなければならないのは、ただ生きるということではなくて、よく生きるということなのだ。 ―ソクラテス

それはつまり、このブログのテーマである「日々の生活によりよい」にも大きく関係してくるのです。

ひとつひとつ、高めていきたいことについてお話します。

 

自分についてよく知ること

身体について知る

自分のことって、以外と知らないんです。

たとえば、身体。なんで自分が腰を痛めたり、肩が凝ったりするのかよくわかっていません。頭痛もそうです。

おそらく姿勢だなというのはわかっているのですが、どうにも身体の使い方が未熟なせいで、色々損しているような気がします。

免疫が減って身体が弱くなるかもしれませんし、重たい病気になるかもしれません。

だから身体の使い方はとても大切なのです。

今バスケやサイクリングを通じて勉強中です。これも日々の生活によりよいの一部です。

 

心について知る

自分について知ると聞くと、好みとか、適正とか、そういったことが思い浮かぶかもしれません。

私は、自分の性格や、どんなときに喜んで、どんなときに落ち込むかということを知りたいです。

もっと自分のことを知っていれば、自分が喜ぶことができますし、人を悲しませることが少なくなります。

自分で制御できない部分ももちろんあると思います。でも、それでいいのです。制御できないと知っていれば、まだ対処のしようがあります。

知らなければ、、何もできませんから。

病気が発見される前に病名を診断することはできませんし、ご飯を目をつぶって鼻をつまんで食べたら何を食べているのかわかりません。

なので、自分というものから一歩引いてみて、自分を見つめてあげる必要があります。

 

考えること

思えば、私は物心ついたときから考えるクセがあったんだと思います。

小学校の登下校のときも、授業中も、常に何かを考えていました。

自分や見えない何かと闘ったり、日常で疑問を抱いたり。

きっとこの考える力というのは幼いころには誰にもあったんだろうとは思いますが、今は失っている人も多いでしょう。

それはなぜでしょうか?

子ども時代に置いてきてしまったものは悪いものばかりではありません。

むしろ、昔を懐かしんだり、過去を美化するのは人間の習性と言えそうです。

子ども時代に忘れてきてしまったもの。それは考える力ではないでしょうか。

詳しく分解すると、疑問を持つ、原因を予測する、答えを確かめるということです。

なんだか偉そうに聞こえますが、私はその力を失わずに今まできました。

しかし、天才とはある程度の自覚があるらしいですから、私は天才ではないんだと思います。

それでも、考えることはやめたくありません。もちろん夢中になる時間も、ボーっとする時間もありますが、考えるということだけは意識しないとすぐに使わなくなってしまいます。だって、その方が人間楽ですから。

けれど、それで幸せなのかと言うと、少なくとも私は違います。他人に言われるがまま、操作されっぱなしの人生なんて嫌ですし、親や上司、社会の道具ではありません。18世紀ドイツの思想家、カントは言いました。

あらゆる事物は価値を持っているが、人間は尊厳を有している。人間は、決して目的のための手段にされてはならない。  ―カント

だから、考える力はもっと伸ばして、自分の人生を歩んでいこうと思います。

だって、人間は考えることができるのですから。

人間は一本の葦にすぎない。自然のうちで最もひ弱い葦にすぎない。しかし、それは考える葦である。 ―パスカル

 

まとめ

もし同じような考え方を持っている人がいたら、ぜひ仲良くなりたいです!そんなにいないとは思いますが……。でも少しでも目指すものについて知っていただけたらうれしいです。

ここまでお読みいただきありがとうございました!

 

日々の生活によりよいを

ノリ

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