若造だからわかる世の中の不条理さ。

雑記、コラム

こんにちは!ノリです。

「日々の生活によりよい」をテーマにしているこのブログですが、それは気持ちの持ち方や踏み込んだ内容にも深くかかわってきます。

しかし、私はまだたったの20歳。

「生とは何か」と格好つけたようにも取れる言葉を発して、恥ずかしく思う方もいるかもしれません。

もしかしたら「何を若造が」「意識高い系」かなと思う方もいるかもしれません。

しかし、そのような反論に対して答えていかなくてはと思ったので今回はそのことについてお話します。

いまだからこそ言えることも多くあると思うのです。

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反論

日々の生活をよりよくするには、まず「生活」とは何かしっていなければいけません。言葉の意味を知らずに用いることはできませんから。

生活とは、「生きる」ことです。

この「生きる」ことについては、いつの時代も数え切れないほど多くの議論がかわされてきましたし、人類の最も大きなテーマと言っても過言ではないでしょう。

つまり、「どうやって生きるか」よりも、「生きるとは何か」が疑問として先に来るはずです。

もちろん、このことについて全く考えずに生きることも可能です。

しかし、人間は考えることができる生物なので、考えても損はないでしょう。

それは20歳でも10歳でも90歳でも変わりません。

そもそも、「日々の生活によりよい」の「よい」の部分が何を示しているのか知らなければいけません。

もちろん何がよいのかは人によって違うと思います。好みもありますし。

しかし、そのよいことを求めることは意識高い「系」ではありません。

子どもと大人の境界だからわかったこと

20歳は法的には成人ですが、まだ正式な仕事についていないですし、自分はまだまだ大人とは言えないと思っています。

それに最近は子どもと大人の境界線なんて本当はないんじゃないかと思い始めました。

いえ、実際はあるのです。自動車による交通事故の加害者は大人であるでしょうし、会社に勤めるほとんどの人が自分は大人だと自覚していることでしょう。

しかし、その意識というのは本人の中にしかないと思うのです。

自分は大人だと思えば大人です。

日本には形だけの成人式が残り、大人になるための試練や儀式といったものは形骸化しています。

それであなたは今日から大人だといわれて何の実感があるというのでしょう。

歳だけとった子どもも大勢いるというのに。

世の中はただあるだけ

はっきり言って世の中はくだらないことばかりだと思います。

今の大人が無能だと言っているわけではありませんが、個人ができることなどどうしても限られてしまいます。

しかし、そう思っているのは私です。世の中の中に私が含まれはいますが、それは私と同一ではありません。

つまり何が言いたいかというと、世の中はただあるだけだというのに、私が勝手にそれを判断しているということです。

たとえば、雨が降って嫌だなって思ったときのことを思い浮かべてみてください。

雨はそれ自体が悪いものではありません。

雨のほとんど降らない地域では雨が降れば喜びます。

雨についていやだなと思っているのは本人だけであり、いくらでも変えられるということです。

生きることも同じです。

人生は楽しいとかつまらないとか思っているのは自分であって、生きるということはただそこにあるだけです。

ではなぜあるだけのものについて考えることが必要なのでしょうか。

生きるということを考えること

生きるということはあるだけです。しかし、だからといってただ生きればいいというわけではありません。

生きるということについて考えることが生きるということなのです。

よく「人生の意味は何か」なんて問いを大人になっても知らない人がいますが、人生に意味なんてありません。

もともと私たちが親から生まれてきたのだって親にとっては意味があっても、私たちにとって意味があるとは思えなかったのですから。

そんなものに振り回されてつらくなるくらいならはっきりした方がましでしょう。

私たちはただ生きているだけです。

別に宗教でもなんでもなく、ただ事実を言っているだけです。

この当たり前のことに驚けますか?

子どもは大人になるまでに多くの問いを出すことで学び、成長します。

しかし、その問いに寄り添えず、答えられなかった大人に育てられた子どもはどうなるのでしょう。

同じような大人が誕生し、負の連鎖が生まれてしまいます。

不思議なんて常に自分の中にいくらでもあるのです。

それがわからずに「大人だから」と自分を縛り付けることに何の利点があるのか私は知りません。

大人の不条理

大人の不条理はこれにつきます。

多くの日本企業は従ってくれる戦士を求めています。

多くの親は自分の言うことをよく守る子どもを「いい子」と呼ぶでしょう。

その中でだんだん子どものころ持っていた夢も、希望も、疑問も、すべて奪われてしまうのです。

避けることはできません。子どもに避ける力なんてないのですから。

大人の世界に足を踏み入れるとはそういうことです。

今度は自分が子どもを騙し、偽る側になるという可能性について考えずにはいられません。

子どもは20歳になれば勝手に大人扱いされます。仕事を持てば大人扱いされます。

しかしこの中の誰が本当の大人になれているのでしょうか。

汚い世界を綺麗だと教えられ続け、一歩踏み入れば途端に自分の世界は嘘だったと気づきます。

そして騙し続けるのです。

これほど悲しいことってそうあるものではないでしょう。

だから私は戦う。

そのような連鎖を断ち切らなければいけません。

そのためにブログをやっているのです。

以上少しまじめな話でした。

日々の生活によりよいを

ノリ

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