知・考・伝

私の価値観

こんにちは!ノリです。

信念というのは自分が信じていることであり、行動や思考の中心にあるものです。

今回お話しするのは「知ること」、「考えること」、「伝えること」の話です。

そしてこれが、人生をより良くするために必要不可欠な3つの力なのです。

当たり前だと思った方はがっかりせず、安心してください。当たり前だと思わなかったらそれは怪しいサイトか理解するのが簡単ではないことですから。

 

知・考・伝

私の基本は「知ること」「考えること」「伝えること」の3つで成り立っています。

この3つはセットだと思ってください。

どれかひとつでも欠ければ他も崩れていきますし、どれかひとつが伸びれば他の力も伸びていくはずです。

わかりやすい例えとして、平面上の三角形をイメージしてみてください。

三角形には3つの頂点と3つの辺がありますよね。その数は必ず3つでなくてはいけませんし、多くても少なくても三角形ではなくなってしまいます。

なぜ大事なことが3つあるのか?と思うかもしれませんがひとつにまとめられなかったのではなく、「3つの見方をした」というだけです。ここ結構大事です。

知っておいてほしいのは、この3つの力に優劣はないということです。

これがわかっているのとわかっていないのでは大きな違いがあります。とりあえず「全部大事なんだ」と思えってもらえれば大丈夫です!

 

知ること(知る力)

まず、知ることが大事です。

現代はIT社会が発展して誰でも(狭い意味での)世界中の情報が簡単に手に入るようになりました。

あなたが今みているこの記事だって情報です。

この情報を手に入れるための力が「知る力」です。

情報の海に流されてしまわないために、知る力を養わなければいけません。

知るということは、決して終わりがありません。

勉強をすればするほどわからなくなるという経験はありませんか?

私はあります。知ることによってどんどん自分の無知に気づき、だからこそ「もっと知ろう」と思えます。

でも、「世の中知らないほうがいいこともある」という人も当然いらっしゃると思います。

例えば、「好きな人に恋人がいるなんて知りたくなかった!」とか、「実は賞味期限が切れてたなんて知りたくなかった!」みたいな。確かに知りたくないという気持ちもわかりますし、私はそのような人を否定しません。

しかし、せっかく人間に生まれて、考えることができるなら、「知ること」全てを捨てる必要はないではないでしょうか。これは、他の力についても同じです。

確かに、「現実はつらい」というのも事実かもしれません。知らない方がよかったこともたくさんあると思います。

しかし、新しいことを知りもせずに、知ろうともしないで、毎日同じ日々を繰り返すことこそ「つらい」とは思いませんか?

私はこの無知の自覚をすることが大切だと思います。

結局、無知なものはやっぱり無知ですからね。どんなに気が良くて、どんなに一生懸命でも、ものを知らないというのは自分がどこにいるか知らないことですから。 ―宮崎駿

 

 

考えること(考える力)

次に、考えることです。人間の特権とまでは言いませんが、進化の歴史の中で、人類は脳を大きく発達させてきました。この「考える力」も「知る力」と同じく重要です。

考えることとは、突き詰めると言葉によってカタチにすることだと思っています。

物質的なものではないので形ではなくカタチにしました。

私たち人間は、言語によって考え、行動しています。それが意識的か無意識的(ぼんやりと)かは関係ありません。

たとえば、「リンゴ」のことを言葉なしに説明してください。

 

りんごの画像

ジェスチャーや絵で説明できるという方はもちろんいらっしゃると思います。

それでは、「生きる」ということを説明してください。

「歴史」を説明してください。

 

はてな?の画像

このような抽象的な物事については私たちは言語の力に頼らず説明することは先ほどより格段に難しいと思います。

言語の力を使いこなし、言語を極めた人間が「作家」になります。

また、一部の人は言語の力に頼らず紙や壁に表現したのが「画家」に、音で表現したのが「音楽家」ということになりますがこれは別の話です。

考えることについて言語が必要なのはこのような抽象的なことだけではありません。

たとえば「今日の晩御飯」を言葉に頼らず考えてみてください。

……

と、言われると私たちは映像でイメージするしかありません。

「今日の晩御飯」は、おそらく未来の出来事です。

人間は過去と未来を考えることができますが、未来は特に言語がなければイメージしにくいと思います。

思ったことをどんどん頭の中で言葉にしていく。

それが考えるということです。

もちろん、イメージの力だけで生きていくこともできるでしょう。言語なしにコミュニケーションをすることも不可能ではありません。実際、私たちは皆赤ちゃんの時はそうしていました。

考えることができなければ多くの人が自分の人生を生きたとは言えません。

つまり、他人によって操作される人生。行き先が決まっている人生。

そんなのつまらないと私は思うのです。

人生を、ひいては世の中全体をよりよくするには考えることが必要不可欠です。

われ思う、ゆえにわれあり。 ―ルネ・デカルト

 

伝えること(伝える力)

三つ目は伝えることです。

これは先ほどの作家、画家の話にも関連してきます。

新しいことを知り、それについて考えたとしても誰にも話さなければその意味は半減してしまいます。

もちろん考えたことで伝えることがなくても、自分の行動が変わったり意識が変わればそれは立派でしょう。

しかし、誰かにその考えを伝えるということは重要だと私は考えます。

なぜなら、伝えなくては人類の発展はここまでなかったと思うからです。

言うまでもなく人類の文明が興ってから、今までに数え切れないほど多くのものが発明され、発展してきました。

これほどの成長スピードや変化の適応能力を持っているのは「ウイルス」くらいのものです。ウイルスを生命と呼ぶかどうかは別の問題ですが。

たとえば災害が起きたとき。

その恐怖や教訓は語ることや絵にすることで子孫へと受け継がれます。

「地面が揺れたら大きな波が来るので高台に逃げること」

これは地震の教訓です。

私たちは、地面が揺れたらそれが地震であることを知っています。

いつ揺れるかはまだわかりませんが、どういう仕組みで揺れるのかは大体わかっています。

しかし、地震であることを知らなかったらどうでしょう。

地震の仕組みをまったく考えていなかったらどうでしょう。

そして、地震を経験した人がそれを伝えなかったらどうでしょう。

毎回大災害になってしまします。

技術や経験が伝えられなければ文明の進歩はありませんでした。

先人はそれを紙に記し、壁に描き、言葉に乗せていたのです。

もっと身近な話で言えば、アップルCEOの故スティーブ・ジョブズがiphoneを頭で考えるだけで誰にも伝えなかったらどうでしょう。

学校で学ぶ教科書が真っ白だったら?誰とも会話せずに過ごしたら?

これだけでも伝えることの大切さがわかると思います。

時は過ぎ去るけれども、ひとたび発せられた言葉は、永久にあとに残る。 ―レフ・トルストイ

 

まとめ

知ること、考えること、伝えることの3つがそろっていなければ、今の生活はなかったでしょうし、よりよくすることもできないでしょう。

これが私の基本原則のひとつです。

当たり前だと思った方も、納得できない方も、ここまでお読みいただきありがとうございます。

「日々の生活によりよい」を知り、考え、伝えることがきっとよく生きることを信じて。

 

日々の生活によりよいを

ノリ

 

信念のまとめ

知・考・伝 この記事です。

情報・知識・技術

中庸

矛盾

信念

手段と目的

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