中庸

      2017/10/28

こんにちは!ノリです。

「日々の生活によりよい」をテーマに様々な切り口から情報をお届けするため、このブログの基本的な方針と自分の意見についてお話しています。

基本的な自分の意見とブログの方針!「知・考・伝」

基本的な自分の意見とブログの方針!「情報と知識と技術」

そこでお話したのは、日々の生活をよりよくするためには「知る」「考える」「伝える」の3つが必要なこと、「知ること」は「情報」と「知識」と「技術」に分けられるということでした。

今回は偏りがないということ、「中庸」についてお話していきます。

といっても、話の内容は「偏らないこと」に尽きますので、既に実践されている方は飛ばし読みしていただいて構いません。

 

中庸(ちゅうよう)とは

中庸とは、儒教という宗教の中心概念の一つです。

また、アリストテレスというギリシャの哲学者が主張する徳の一つ「メソテース」も訳語として同じ言葉が当てられています。

私は宗教はあまり好きではないので専門用語に頼りたくはないのですが、中庸の文字が指す意味と私が言いたいことが一致していたのでこの言葉を用いることにしました。

それではこの言葉の意味を詳しく見ていきます。

 

中庸の「中」

「中」とは、中途半端やきっぱり真ん中という意味の「中」ではありません。

どちらかというと中立の意味に近いです。

しかし、ただ単に中立ということではありません。

中立の立場をとるためには、極端を知っていなければなりません。

例えば、ご飯は食べないと命に関わりますが、食べ過ぎても身体に良くありません。

わかっているとは思いますが、だからといって食べないと命に関わる量と食べ過ぎて命に関わる量のちょうど中間が良いというわけではありません。

きっとそれでは多すぎるのと変わらないと思います。

また、最低限生きていける量とおなかいっぱい満足できる量の間をとったとしたら、今度は少なすぎると思います。

これらの例からわかるように、大切なのは中間をとるということではなく、極端を知り、そのどちらにもならないように努めるということです。

 

中庸の「庸」

中庸の「庸」は凡庸の庸です。他に、利用する、ねぎらうなどといった意味がありますが、おそらく「常に」、「普通の」といった意味でしょう。

この文字が表すことは、中庸は特別な概念ではなくて、ただ常に中立が良いということや、どちらかに偏らないことが良いということです。

というよりも、そのどちらかがあること事態に疑問を持つことが大切です。

次に偏らないとはどういうことかお話していきます。

 

中庸とは偏らないこと

両極端を知って、中立をとるといいましたが、それは中庸の第一ステップでしかありません。

偏らないこととは、そもそも対立構造が生まれていることに疑問を持つのです。

右か左か、善か悪か、男性か女性かなど、いつの時代も人間はあらゆる物事を二つに分けて考えることを好みました(これを二元論といいます)。

たとえば戦争の話をしましょう。

戦争をするのは端的に言って、自分が正しくて相手が悪いからです。

なにか呪術にでもかけられていない限り、相手に謝りながら攻撃する人はほとんどいないでしょう。

相手も自分は正しくて、相手は悪いと思っています。だから争いが起きるのです。

あるいは、恋人や友人が服を選んでいると想像してみてください。

「ねぇこの服とこの服どっちが良い?」って聞かれて「どっちでもいいよ」と答えますか?それではもう同じ質問はされないでしょうが、仲良くはできないかもしれません。どちらか選ぶということももちろん大切です。

偏らないとは、中途半端、どっちつかずという悪いことではないと私は思っています。

そもそもなぜ全ての物事を白と黒で判断しようとするのでしょうか。別にグレーが良いと言っているのではありません。

みんなが口にする白とはなんのことなのかはっきりしないといけないことを指摘したいのす。

二元論で語ることを批判して、多元論で語ることを勧めたらそれこそが二元論になるという罠です。なんだかややこしいですね。

だから私の最も言いたいことはこれではありません。

大事なのは次です。

 

自分にとって偏りがない

この自分というものもなかなか厄介なのですが、とりあえず自分というものがあるということにしておいてください。

この自分にとって偏りがないとは、言葉通りの意味で、白か黒かを外から決めるのではなく、自分の中から決めるということです。

それが中庸の「中」の私なりの解釈です。

それなら人それぞれ尺度が違うのでさっき言ったみたいに争いが起こるじゃないかと思う方もしるかもしれませんがそれは違います。

人は自分の芯に従うということがなかなかできない生き物です。

どうしても欲望に囚われてしまったり、絶望に打ちひしがれたりします。

それは、求めなさすぎであり、求めすぎでもあります。

この場合の芯とは「ありたい自分」です。

ありたい自分に従えば戦争は起きないとは言いませんが、少なくとも増えはしないと思っています。

だって戦争が自然なことなら人間はとっくに滅びているでしょうから。

 

まとめ

どこに着地したらいいかわからなくなって行き場を失いましたが、それも中庸。

そんな適当な感じでこの記事をおわりにしたいと思います。

適当の解釈はあなたに任せます。

それが自分の中庸になるのですから。

どうか自分の適当を見つけてみてください!!

なんかうまくまとまって……ないか。

 

日々の生活によりよいを

ノリ

 

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