手段と目的

      2017/10/28

さて、今回は「手段と目的」についてのお話です。

自分の中での漠然とした価値観(何をよいと感じるか)や考え方について紹介する「信念」のコーナー。

当ブログの中では一番重要カテゴリですが、一番人気のない不遇なコーナーでございます。

確かにこんな抽象的なタイトルしてたらとっかかりにくいかとは思いますが……そこは「ですます調」と私の軽さで許してください!

と言いましても、これからお話する内容は至って真面目、いや、真剣です。

ということで、「手段と目的」いってみましょー!

 

手段と目的

勉強の例

普段あまり手段とか目的について誰かと話すことってないと思います。

しかし、日常には手段と目的がごろごろ転がっています。そこらじゅうに。

たとえば、「何のために勉強をするの?」という疑問は誰でも持ったと思います。

そこにはっきりした答えがあるなら、それは勉強がその目的を達成するための手段だということです。どういう目的かというと、

  • 親に褒められるから
  • テストでいい点を取るため
  • 試験に合格するため
  • やらないと怒られるから

など、色々ありますよね。これが目的で、勉強が手段ということです。つまり、逆に言うと勉強をしなくても達成できるなら勉強をしないということです。

勉強してもしなくても同じならやらないと思います。

同じことなら、やらずに寝る   ―のび太(ドラえもんより)

でも、ちょっと待ってください。

勉強が楽しくないのはもしかすると、それが目的ではなく、手段となっているからではないかと私は思いました。

 

手段は目的にもなる

勉強が手段になっているのが悪いなら、逆に勉強を目的にできないかを考えればなんだか道が開けそうです。

でも、その前にもっと簡単な例を2つ取り上げて説明したいと思います。

1つは、交通機関です。あなたも月に1度、いや、毎日利用しているかもしれません。車、電車、飛行機、バスなどのことです。これらは手段でしょうか、目的でしょうか。

大半の人が手段と答えると思います。「移動手段」なんて言いますからね。大抵の場合それは正解で、たどり着く場所が「目的」ということになります。

旅行に行くのに飛行機を使う、電車で学校に行く、車で買い物に行くなどです。手段は「○○を使う」だとか、「○○で」という表現をよくするので、簡単に判断できます。

でも、勘の鋭い方ならもうおわかりかと思いますが、交通機関は「目的」にもなりますよね。

そう、電車好きの人だったら電車は手段ではなく、目的になります。別に電車好きでなくとも、豪華寝台列車も目的ですよね。あれを手段としてだけ利用するならよほどの金持ちだと思います(笑)

もうひとつの例えは、話す方法にしましょう。これも会話手段として、いかにも手段といった感じです。

メールでやり取りするか、SNSを使うか、ビデオ通話か、音声通話、対面など様々な手段がありますよね。

でも、これらも 味方を変えれば目的になります。「話す内容は決まってないけどどうしても直接話したいんだ」というときはありませんか?ない?

じゃぁこう考えてください。あなたの大好きな人を一人思い浮かべてください。美男美女、アイドル、キャラクターなどなんでもいいです。その人と直接話せる機会があれば、それはもう目的になりませんか?単なる手段として「じゃぁ対面ね」なんて話にはならないと思います。だって友達じゃないんですから。

交通機関の例、それとちょっとわかりにくかった会話の方法の例からわかるように、手段は目的にもなるということが多々あるのです。

 

目的は楽しむため?

それでは勉強を目的としてみましょう。勉強が目的……想像しにくいかもしれませんけど、これは日本という国が恵まれているからです。

世界中で、学校に通いたくても通えないという人は数多くいます。

2013年にユネスコが出したデータによると、小学校で学ぶような年頃の人の全体のうち9%が学校に通うことができていません。その数は5900万人にも上ります。

その人たちがもし学校に通いたくても通えない人たちであったのなら、勉強をする、すなわち学校に行くということは目的になります。

でも、ほかにも目的はあります。

それは、勉強自体が楽しくて仕方のないという人です。変態かと思うかもしれませんが、私も受験期の終盤はそんな感じでした。

とにかく今まで解けなかった問題を解けるということが嬉しくて、もはや入試試験に合格するということは大して大事ではありませんでした。

この、「楽しいから」というのはそれだけで理由になります。

思えば、人間のやることは大抵、「何のため」を突き詰めていくと「幸せのため」になると思います。

でも、次にお話するような例外もあります。

 

手段と目的を越えた先

これがもっと進むと、「勉強だから」になります。「勉強のために勉強」をしているという状態です。

イギリスの登山家、ジョージ・マロリーは言いました。

そこにエベレストがあるから ―ジョージ・マロリー

日本では「そこに山があるから」として広まっているこの有名な言葉。まさに手段も目的もないところにいます。

手段も目的も越えた先はどんな世界でしょうか。それは、何かをしなければいけないという強制ではないと私は思っています。

手段も目的もないというと、何も考えずにスマホをいじるのと同じになってしまうので、ないというわけではないと思いますが、なんだか難しい話ですね。

 

まとめ

私たちは、生きていくうえで、様々な手段と目的に出会います。そこで、何かを手段と捕らえるか、目的ととらえるかで大きな違いが生まれると思っています。

本当なら、手段も目的もない、純粋にやるというのがきっと一番です。

でも、さきほど話したようにそれだと何も考えないのと同じになっちゃうんじゃないかという疑問や、そもそも「純粋」って何だろうという話になってくるので、それはまたおいおい考えがまとまったら書いていこうと思います。

 

日々の生活によりよいを

ノリ

 

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