大学無償化の争点について考えてみる。メリット・デメリットなど

      2017/10/11

こんにちは!ノリです。

最近議論が白熱している大学無償化についての話題。ニュースでもよく見ますよね。

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こういう議論で大切なのって、感情だけで話してもだめですし、理性や理論ばかりでも良くないということです。人それぞれ意見があって当然ですし、お互いの主張を尊重して前に進んでいくのが望ましいですよね。

ということで、今回は大学無償化について整理してみます。

後半では、専修学校、その他の学校も含めた教育無償化についてもお話します。

 

大学無償化とは

大学無償化とは、その名の通り大学にかかる費用を無料にするという政策です。

範囲は国公立大学のみであったり、すべての大学であったり様々ですが、無料になることには変わらないようです。

学生の私からしてみれば「無料になるならさっさとしてくれよ!」って感じですが、どうも、話はそんなに簡単ではないようです。

なぜ今まで実現されていないかというと、憲法にないからなんですね。

憲法26条には、「義務教育はこれを無償とする」とありますが、高校や大学、それと幼稚園や保育園などは義務教育ではありません。つまり無償にする義務は国(政府)にないのです。

そして、憲法についてもうひとつ補足します。

憲法は私たち国民ひとりひとりというよりは、国や政府を縛るルールです。なのでこれを国が勝手に変えてしまうことは都合の良いように変わるおそれがありますし、別に憲法で決めなくても法律でも何でも良いとは思いますがどうなのでしょう。

2017/10/11追記:憲法はもちろん国民のためのルールでもあります。しかし、改憲の口実として利用されるののはちょっとなと思っているだけです。

 

国際的にみた大学無償化

ちなみに国際的に見た日本の大学は高授業料・低補助にあたります。

残念なことに、はっきり言って最悪です。授業料は高いし、奨学金という名の借金をしてまで行かなければいけないというのが現状です。あくまで大学の話です。

なぜ行かなければいけないかというと、大学全入時代になって、多くの企業が総合職を採用する際に大学卒業を前提として希望者を選考するからです。それ以前に偏差値による学歴フィルターなんてものもありますが、これはまた別の話です。

低授業料な代わりに、低補助な国はオーストリア、フランス、イタリアなどがあります。要するに「安いから払ってね」ということです。

逆に、授業料は高いですが、高補助の国はアメリカ、イギリス、オーストラリアなどがあります。これは、「努力次第で安くするよ!」ということです。教育は誰にでも開かれていますが、学ぶ意思がない人にも開かれているわけではないということです。考えてみれば当然の話ですね。

では授業料が安く、さらに高い補助がある国はあるのかと思ったら、ありました。北欧諸国やドイツです。でもこれじゃぁ採算が取れませんよね。税金で賄うことは現実的ではありません。そこでスウェーデンは留学生だけ高授業料にしたところ、人数が大きく減少してしまいました。また、給付型奨学金を減らして、貸与型奨学金を増やそうとしましたが、世論の反発にあい、撤回しました。

やはり問題は財源のようです。

外部リンク:国立国会図書館 諸外国における大学の授業料と奨学金より

 

国連の国際人権規約

日本も批准している国際人権規約にはこのようなことが書かれています。(13条b)

高等教育は、すべての適当な方法により、特に、無償教育の漸進的な導入により、能力に応じ、すべての者に対して均等に機会が与えられるものとすること。

(外部リンク:経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約
(A規約)―外務省)

ここでいう高等教育とは高校のことではなく、大学や高等専門学校のことを指します。

「なんだ認められてるじゃん!」なんて思って安心してはいけません。守られていないのですから。

こういうのって意外とあるので注意が必要です。労働基準法や就職活動解禁日などのように、「え、そんなのあったの?」というくらいに形骸化しているルールもあるんですから。

さて、この国際人権規約にちゃんと従うとすると、さきほど紹介したアメリカのような高授業料・高補助の国になるのが現実的と言えるでしょう。

もし低授業料(今問題にしているのは無償化)になるとすれば、やはりその財源がどこから湧いてくるのかというのが問題になります。

ということで、次は争点をまとめていきます。

 

大学無償化の争点

どこから賄うのか

最大の争点はここにあるのかもしれませんね。

みんなの税金から払われたり、教育国債なるものを発行して、賄おうとしているみたいです。

税金から払うのに関しては、単に自分が嫌だという場合がほとんどですね。

理由はここにあるというよりは、これからお話する他の要因によるところが大きいと思います。

教育国債についてはよくわかりません。どんどん借金して、大丈夫なのでしょうか。それは責任から逃げているように思えますがどうなのでしょう。

借金して大丈夫なら「増税しないでよ!」って話ですし、大丈夫じゃないなら「そんな政策してる場合か!」って話ですけどね。

「こども保険」なるものも話として出てきているみたいです。これは、要するに20歳を過ぎたら払う社会保険料を0.1%値上げして、未就学児(保育園や幼稚園にまだ通ってない人)に月額5000円を支給する制度です。

ここで、「こども保険」という言い方に違和感を持った方。私もそうですが、どんどん誰かと話し合うのがいいと思います。この国の未来をみんなで考えるということが大事なのですから。

それと、オーストラリアで実施されている「高等教育拠出金制度」なるものも検討されているらしいです。これは、「大学の授業料安くしておくから、代わりに卒業後の所得が高かったらいっぱい払ってね」という制度です。なんかいやらしい。これなら成績が優秀な人を安くしてあげる方がいい気がしますが……。

とにかく、財源確保は大きな争点ですね。

 

大学は無償にする価値があるものなのか

大学を無償にするには無駄をなくしていく必要があります。

今のままの高い授業料を税金で賄うのをもったいないと考えるのも妥当です。

しかし、それは授業料の高さというよりも、それに大学の中身が見合っていないからでしょう。

経済学用語でいう費用対効果、コスパってやつです。

大学はコスパが悪いのでしょう。それは高い授業料を支払う(あるいは親に払わせる)学生にとってもそうですし、その授業料を確保するために税金を徴収される国民にとっても悪いということです。

たしかに都心にある広大なキャンパスは必要ないですし、オンライン授業で済む講義もありますし、無駄な施設も多々ありますよね。

反対する立場としては、単純に大学には高いお金を支払う価値があるということになります。しかし、それなら高いお金を払えばいいわけで、無償化する必要がなくなってしまいますよね。ところがそういう話ではありません。

問題になっているのは借金をしてまで大学に通う人であったり、大学に通いたくでも補助制度が整っていないために通えなかった人たちです。

彼らには学ぶ意思があります。多くの大学生が肩書きのために通っているのに対して、貴重な存在です。

もともと大学は通いたい人が行けばいいというのが普通でした。

だから、コスパとかそういう話とはあまり縁がなかったのです。

そう考えると、今の日本はやはり異例なのでしょう。

授業料はやけに高い、内容はしょぼい(ところもある)、補助制度はほとんどない(ところもある)、そして何より大学を出なければいけないという無言の圧。ひどい。

しかし、ひどくても大学を使って本気で学ぼうと考えている学生は少なからずいますし、大学在学中に大きく変化するかもしれません(私もどちらかといえば後者です)。

だから大学は税金を使って無償にする価値はないとは言い切れないのです。

それでも高いことには変わりありませんね。そのため大学を無償にするにはもっと無駄をなくしていく必要があるのです。無駄がなくならなければ無償にする価値はなく、無駄が減って学びのための最高学府になるのなら、無償にする価値があるということかもしれません。

これらを解決するには、もっと学生が声を上げる必要があります。

個人的なことで言えば、私は新しい学部をどんどん新設するのに反対です。自分の通っている大学では、いつもどこか工事しているので、悲しいです。そうならないように、もっと大学に向けて発言することが大事ですね。

実はこれだけではなく、ほかにも問題はあります。

 

大学に行かなければ損?

大学を無償化にすることによって一番恩恵があるのは学生、もしくは学費を払う親ですよね。

しかし、この学生というのは、大学に行くことが前提となっています。それ以外の人には何のメリットもありません。

これが議論を呼んでいるようです。

お金がないから大学に行けないという人のために、無料にしても、元から行く気がない人にとっては無料になっても嬉しくないと思います。

大学全入時代と呼ばれて何年も経ち、平成28年度は過去最高の52.6%に大学進学率がなったといいますが、それでも半分の人は大学に通っていません。これは不公平じゃないのかという意見があるのは当然です。

どっこも全入じゃないじゃないですか。半分ってことは「性別は男とその他しかない」って言ってるようなものだと思いませんか?

大学無償化するなら、大学に行かない人にも何かしらメリットがあればいいという意見も見かけます。

現実的なメリットが思いつかないなら大学よりも保育園や幼稚園にお金をまわした方がいいと思います。

外部リンク:平成28年度学校基本調査(確定値)の公表について – 文部科学省

 

無償にするのはいいことばかりじゃない?

生半可な気持ち

確かに今のままでは大学というシステムは値段に見合っていませんし、時代に追いついてもいないところがほとんどだと思います。

人が集まらない大学はどんどん消えていくのでしょうが、その消えた大学を卒業した人たちはきっと悲しいです。

それに、大学を無償化してしまったら学ぶ意思はどうなるのでしょう。

「お金」の話でも触れましたが、人って無料だと覚悟がなくてもできてしまうので、これは問題ですよね。

たとえば、親に学費を払ってもらっている私などは、そのありがたみを入学当初は理解していませんでした。今ではとても感謝していますし、大学をもっと活用しようと思っていますが、人間「タダ」に弱いんです。そこは肝に銘じるといいかもしれません。

少なくとも授業料が高ければ、それなりの覚悟というものが必要ですから。

やはり大学は学ぶ場所です。遊びから学べることもたくさんありますが、たくさんの大学にしかないサービスや施設も有効活用していきたいものです。

高ければ高いで、学びたいと思っている人が学べないですし、安ければ「ウェーイ」な学生が増えるので困りますから、きわどいところですよね。私は高授業料・高福祉が良いと思います。

資本主義の世界に生きているのですから、頑張って結果を出せばその分いいことがあるというのは最もわかりやすいのかなという気がします。

じゃぁ高授業料を誰が払うのかという話になりますが、これはもちろん学生ひとりひとりが払うしかないです。

別に能力がない人は金を払えという話ではなく、その値段に見合うような大学運営をしていけばいいだけの話です。

それか先ほども言ったように学費は超高額だけど成績優秀者には最大の補助をするというのが現実的ではないでしょうか。

 

大学のあり方とは

魅力ある大学なら人が集まってきます。

私立志願者数トップを誇る近畿大学や、国公立では千葉大学や神戸大学も総合大学として高い人気です。

それらは、ただ単に偏差値の高い低いではなく、入学したいと思えるかどうかに尽きるのです。

学生学生というと高校卒業したばかりの若者をイメージするかもしれませんが、私は浪人生でも社会人でももっと大学で学びやすくすればいいのにと思います。

高校までで習うことと、大学で学ぶことは同じではありません。だから答えのひとつしかないセンター試験などはやってももったいないと思うのです。ということで、なにやら色々政府も動いているようですが、どうなるかはわかりません。

私は、とりあえず教育は後回しにして、子育てができるように、次世代が育まれるように大人の環境から整えていくことが先決だと思います。

これは、当たり前の話で、いくら子どもが可能性を持っているからといって、大人になって潰れてしまってはそこでおわりです。そして、潰れている親を見て育った子どもの可能性が広がるわけはありません。

もっと働き方が柔軟になって、時間ができれば、大学に通おうという人も出てきます。そういう人たちの希望をかなえてあげれば、大体の問題は解決すると思いますけどね。物事そんな単純じゃないですが。

 

大学以外の教育無償化は?

さて、ここからは大学以外の教育無償化についても考えていきます。でも、この記事を見ている方はおそらく大学の無償化について興味があると思うので、さらっといきます。

私は、「簡単に教育を無償にすべきではない」と思っています。

なぜなら、教育とは人間の可能性を広げるものであり、無償にして強制的にやらせるものではないからです。

それは親がやればいいことです。学校で教えてくれない大事なことは親が教えればいいんです。親ができないということは、時間に余裕がないということです。収入が少ないということです。あるいは、親が子育ての仕方を知らないのです。

あるいは、図書館がやればいいことです。本を無料で借りられるわけですから、これほどお得な機関はありません。もっと休憩スペースや設備を充実して、快適な場所にするお金くらいできるはずです。そう、教育無償化するならね!

そんな簡単に無償にできるものなら、親の負担が減るように労働面の改革から手をつけ、学校は学校として、親の子育て教室をやった方がよっぽどましだと思います。それを政府がやるとろくなことにはならないと思いますが。

別に私は今の牢獄みたいな学校の存在を肯定しているわけではないですが、社会の縮図として必要なのかなとも思っています。一概にすべてなくなれ!とは思いません。

でも、教育を無償化するというのはなんか違うかなと感じています。

つまり、「もっとほかにやることあるだろ!」ってことです。

ちなみに幼稚園や保育園は無償にする前に、まず数が足りていないのでそれをなんとかするのが先です。こちらも問題になっていますが、また別の話です。

 

見え隠れする「人材」という言葉

教育無償化の記事を調べていくうちに、妙に目についたのが「人材」という言葉です。

私ははっきり言ってこの言葉が嫌いです。人を材料か素材か何かかと思っているのでしょうか。

「人をモノ扱いするな!バカァ!」って言わせてください。言います。言いました。

人材投資ってなんですか?教育ってそんなちんけなものだったのですか。人ですよ人。もっと大切に考えましょうよ。人は材料ではありません。

「人づくり革命」もネーミングセンスに脱帽です。ものづくりならわかりますけど人づくりって。それに革命って。なんだか物騒ですね。

人間を手段にするなってカント(ドイツの哲学者)も言っていました。

教育という人間においてとても大事なことを考える以上、そういう細部の言葉選びにも気をつかってほしいものです。

あくまでも、私が思うというだけの話ですが、なんとなく共感できるという方もいると思います。

もし、私の基本的なものの見方について興味があれば以下の記事を読むことをオススメします。

 

まとめ

ここまで、大学無償化について論点をまとめてきました。こうしてみると、大学そのもののあり方が問われているといっても過言ではなさそうです。

ちょうど時代の過渡期にあるところに、いきなり無償化をするのは私はちょっとずれているような気がします。まずは給付型奨学金(返さなくてもいい奨学金)でしょう。

ですので、私の立場としては「現時点では大学無償化に反対」ということになります。しかし、他人の考えに惑わされず自分で考えるということがあくまでも大切だと思います。

大学という最高学府を無償にするということは、教育自体の考え方も大きく変わるものと考えられます。

時代の波なんてテキトーなことは言いませんが、この記事を読んで、少しでも大学無償化について考えるきっかけになれば幸いです。

それでは、ここまでお読みいただきありがとうございました!

 

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