大学無償化の争点について考えてみる。メリット・デメリットなど

学生にオススメ

こんにちは!ノリです。

最近議論が白熱している大学無償化についての話題。ニュースでもよく見ますよね。

google「大学無償化」検索結果

こういう議論で大切なのは「感情だけ」「理論だけ」に偏らないことです。
大学無償化に賛成でも反対でも、人それぞれ意見があって当然ですし、お互いの主張を尊重するのが望ましいですよね。

ということで、今回は大学無償化について争点を整理してみます。

その前に私の意見をはっきりさせます。私は「現時点での大学無償化には反対」という立場です。

しかし、これは大学無償化に賛成の人にこそ読んでほしいと思います。あくまで「現時点で反対」なだけであって、将来的に無償になるのは私も大歓迎です。

また、専修学校などその他の高等教育も含めた教育無償化についてもお話します。

追記:情報が古くなってきたので新しく「教育無償化」をベースに記事を作りました!今後はこちらを更新していくのでよろしければご覧ください。

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大学無償化とは

大学無償化とはその名の通り「大学にかかる費用を無料にする」という政策です。

学生からしてみれば「無料になるならさっさとしてくれよ!」って感じですが、どうも、話はそんなに簡単ではないようです。

なぜ今まで実現されていなかったかというと、憲法にあるのが義務教育の無償化だけだからなんですね。

憲法26条には、「義務教育はこれを無償とする」とありますが、高校や大学、それと幼稚園や保育園などは義務教育ではありませんつまり大学などの高等教育まで無償にする義務は国(政府)にないのです。

憲法についてひとつ補足しておくと、憲法は私たち国民というよりは、「日本」という国が守らなければいけないルールです。

そのその憲法によって定められていないから、これまで高等教育は無償化とされることがなかったのです。

もちろん国際的には大学無償化の政策をしている国は少なくありません。

続いて、国際的にみた大学無償化について考えます。

 

国際的にみた大学無償化

ちなみに国際的に見た日本の大学は高授業料・低補助にあたります。

残念なことに、これは学生にとって悲しいです。授業料は高いし、「奨学金」という名の借金をしてまで行かなければいけないというのが現状です。

なぜ今「行かなければいけない」と表現したのかというと、大学に入ることが珍しくなくなった最近、多くの企業が総合職を採用する際に大学卒業を前提として希望者を選考するからです。

それ以前に偏差値による学歴フィルターなんてものもありますが、これはまた別の話です。

ここで他の国を見てみましょう。

オーストリア、フランス、イタリアなどは低授業料な代わりに、低補助な国です。
要するに「安いから払ってね」ということです。

逆に、授業料は高いですが、高補助の国はアメリカ、イギリス、オーストラリアなどがあります。
これは、「努力次第で安くするよ!」ということです。
たとえば成績優秀者には給付型の奨学金を出すということです。

教育は誰にでも開かれていますが、学ぶ意思がない人にも開かれているわけではないということです。考えてみれば当然の話ですね。

では授業料が安く、さらに高い補助がある国はあるのかと思ったら、ありました。
北欧諸国やドイツは低授業料・高補助の国です。
でもこれでは採算が取れませんよね。税金で賄うことは現実的ではありません。
そこでスウェーデンは留学生だけ高授業料にしたところ、留学生の人数が大きく減少してしまいました。
また、給付型奨学金を減らして、貸与型奨学金を増やそうとしましたが、世論の反発にあい、撤回しました。

やはり問題は財源のようです。

外部リンク:国立国会図書館 諸外国における大学の授業料と奨学金より

国連の国際人権規約

日本も批准している国際人権規約にはこのようなことが書かれています。(13条b)

高等教育は、すべての適当な方法により、特に、無償教育の漸進的な導入により、能力に応じ、すべての者に対して均等に機会が与えられるものとすること。

(外部リンク:経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約
(A規約)―外務省)

ここでいう高等教育とは高校のことではなく、大学や高等専門学校のことを指します。

「なんだ認められてるじゃん!」なんて思って安心してはいけません。守られていないのですから。

こういうのって意外とあるので注意が必要です。労働基準法や就職活動解禁日などのように、「え、そんなのあったの?」というくらいに形骸化(かたちだけのもの)しているルールもあるんですから。

さて、この国際人権規約にちゃんと従うとすると、さきほど紹介したアメリカのような高授業料・高補助の国になるのが現実的と言えるでしょう。

もし低授業料(今問題にしているのは無償化)になるとすれば、やはりその財源がどこから湧いてくるのかというのが大きな問題になります。

ということで、次は争点をまとめていきます。

大学無償化の争点

どこから賄うのか

目下最大の争点はここにあると言えます。

みんなの税金から払われたり、教育国債なるものを発行して、賄おうとしているみたいです。

税金から払うのに関しては、単に自分が嫌だという場合がほとんどですね。

理由はここにあるというよりは、これからお話する他の要因によるところが大きいと思います。

教育国債についてはよくわかりません。どんどん借金して、大丈夫なのでしょうか。それは責任から逃げているように思えますがどうなのでしょう。

借金して大丈夫なら「増税しないでよ!」って話ですし、大丈夫じゃないなら「そんな政策してる場合か!」って話ですけどね。

「こども保険」なるものも話として出てきているみたいです。これは、要するに20歳を過ぎたら払う社会保険料を0.1%値上げして、未就学児(保育園や幼稚園にまだ通ってない人)に月額5000円を支給する制度です。

ここで、「こども保険」という言い方に違和感を持った方。私もそうですが、どんどん誰かと話し合うのがいいと思います。この国の未来をみんなで考えるということが大事なのですから。

それと、オーストラリアで実施されている「高等教育拠出金制度」なるものも検討されているらしいです。これは、「大学の授業料安くしておくから、代わりに卒業後の所得が高かったらいっぱい払ってね」という制度です。なんかいやらしい。これなら成績が優秀な人を安くしてあげる方がいい気がしますが……。

とにかく、財源確保は大きな争点ですね。

追記:2019年10月に消費税が10%になりますから、その増収分を充てるみたいです。ですが、もともと「後世へのつけ回し」に充てる増税分の税収を教育という新しい歳出に充ててしまうのは、あんまり意味がないのかなと思ってしまいます。

大学は無償にする価値があるものなのか

そもそもなんで大学を無償にするのかという疑問は当然あると思います。

大学を無償にするには無駄をなくしていく必要があります。

今のままの高い授業料を税金で賄うのをもったいないと考えるのも妥当です。

しかし、それは授業料の高さというよりも、それに大学の中身が見合っていないからでしょう。

経済学用語でいう費用対効果、いわゆるコスパってやつです。

大学はコスパが悪いのでしょう。それは高い授業料を支払う(あるいは親に払わせる)学生にとってもそうですし、その授業料を確保するために税金を徴収される国民にとっても悪いということです。

たしかに都心にある広大なキャンパスは必要ないですし、オンライン授業で済む講義もありますし、無駄な施設に少なくありません。

反対する立場としては、単純に大学には高いお金を支払う価値があるということになります。しかし、それなら高いお金を払えばいいわけで、無償化する必要がなくなってしまいますよね。ところがそういう話ではありません。

問題になっているのは借金をしてまで大学に通う人であったり、大学に通いたくでも補助制度が整っていないために通えなかった人たちです。

彼らには学ぶ意思があります。多くの大学生が肩書きのために通っているのに対して、貴重な存在です。

単純に、授業料高いですよね。学部にもよりますが、4年間でおおまかに400万~500万、医学部だと6年間で2000万円を超えます。

在学中に自分の力だけで学費を払いきることができる人は全体の1%も満たないと思います。

外部リンク:平成26年度私立大学入学者に係る初年度学生納付金平均額(定員1人当たり)の調査結果について

過去を見てみると、もともと大学は通いたい人が行けばいいというのが普通でした。

学問って何?の続き!大学に行く意味ってあるの?と思う方へ

だから、コスパとかそういう話とはあまり縁がなかったのです。

しかし、先ほど言ったように、企業の総合職が大学や、短大の卒業を前提としている以上、そう考えると、今の日本は異例なのでしょう。

授業料はやけに高い、内容はしょぼい(ところもある)、補助制度はほとんどない(ところもある)、そして何より大学を出なければいけないという無言の圧力。ひどい。

しかし、ひどくても大学を使って本気で学ぼうと考えている学生は少なからずいますし、大学在学中に大きく変化するかもしれません(私もどちらかといえば後者です)。

だから大学は税金を使って無償にする価値はないとは言い切れないのです。

それでも高いことには変わりありませんね。そのため大学を無償にするにはもっと無駄をなくしていく必要があるのです。
無駄がなくならなければ無償にする価値はなく、無駄が減って学びのための最高学府になるのなら、無償にする価値があるということです。

実はこれだけではなく、ほかにも問題はあります。

大学に行かなければ損?

大学を無償化にすることの最大のメリットはもちろん「学費を支払う学生や親が経済的に助かる」ことです。

しかし、この学生というのは、大学に行くことが前提となっています。それ以外の人には何のメリットもありません。

これは重要です。お金がないから大学に行けないという人のために、無料にしても、元から行く気がない人にとっては無料になっても嬉しくないと思います。

大学全入時代と呼ばれて何年も経ち、平成28年度の大学進学率は過去最高の52.6%になったといいますが、それでも半分の人は大学に通っていません。これは不公平じゃないのかという意見があるのは当然です。

どっこも全入じゃないじゃないですか。半分でその主張をするってことは「性別は男とその他しかない」って言ってるようなものだと思いませんか?

大学無償化するなら、大学に行かない人にも何かしらメリットがあればいいという意見も見かけます。

現実的なメリットが思いつかないなら大学よりももっとほとんどの人が通うであろう保育園や幼稚園にお金をまわした方がいいと思います。

外部リンク:平成28年度学校基本調査(確定値)の公表について – 文部科学省

無償にするのはいいことばかりじゃない?

生半可な気持ち

確かに今のままでは大学というシステムは値段に見合っていませんし、時代に追いついてもいないところがほとんどだと思います。

人が集まらない大学はどんどん消えていくのでしょうが、その消えた大学を卒業した人たちはきっと悲しいです。

それに、大学を無償化してしまったら学ぶ意思はどうなるのでしょう。

「お金」の話でも触れましたが、人って無料だと覚悟がなくてもできてしまうので、これは問題ですよね。

たとえば、親に学費を払ってもらっている私は入学当初、そのありがたみを理解していませんでした。
今ではとても感謝していますし、大学は活用できるだけしたと思っていますが、結局人間は「タダ」に弱いという点には注意が必要です。

少なくとも授業料が高ければ、学ぶためにそれなりの覚悟が必要ですから。

当然のことながら大学は学ぶ場所です。遊びから学べることもたくさんありますが、大学にしかない数多くのサービスや施設も有効活用していきたいものです。

「覚悟」という面からお金を定義してみる

高ければ高いで、学びたいと思っている人が学べないですし、安ければ「ウェーイ」な学生が増えるので困りますから、きわどいところですよね。私は高授業料・高福祉が良いと思います。

資本主義の世界に生きているのですから、頑張って結果を出せばその分いいことがあるというのは最もわかりやすいのかなという気がします。

じゃぁ高授業料を誰が払うのかという話になりますが、これはもちろん学生ひとりひとりが払うしかないです。

別に能力がない人は金を払えという話ではなく、その値段に見合うような大学運営をしていけばいいだけの話です。

それか先ほども言ったように学費は超高額だけど成績優秀者には最大の補助をするというのが現実的ではないでしょうか。

大学のあり方とは

魅力ある大学なら人が集まってきます。

私立志願者数トップを誇る近畿大学や、国公立では千葉大学や神戸大学も総合大学として高い人気です。

それらは、ただ単に偏差値の高い低いではなく、入学したいと思えるかどうかに尽きるのです。

学生学生というと高校卒業したばかりの若者をイメージするかもしれませんが、私は浪人生でも社会人でももっと大学で学びやすくすればいいのにと思います。

高校までで習うことと、大学で学ぶことは同じではありません。だから答えのひとつしかないセンター試験などはやってももったいないと思うのです。ということで、なにやら色々政府も動いているようですが、どうなるかはわかりません。

私は、とりあえず教育は後回しにして、子育てができるように、次世代が育まれるように大人の環境から整えていくことが先決だと思います。

これは、当たり前の話で、いくら子どもが可能性を持っているからといって、大人になって潰れてしまってはそこでおわりです。そして、潰れている親を見て育った子どもの可能性が広がるわけはありません。

もっと働き方が柔軟になって、時間ができれば、大学に通おうという人も出てきます。そういう人たちの希望をかなえてあげれば、大体の問題は解決すると思いますけどね。物事そんな単純じゃないですが。

無償化で大学はバンザイ!?

大学が仮に無償になっとして、財源はもちろん私たちが税金として納めることになりますよね。

となると、大学にとってはもはや学生を必死に集める必要がないという危険があります。

国がどうやって大学を絞るのか知りませんが、これまでの学生が客という立場が変わるため、それほど熱を入れなくてもいいような気がします。

もちろん、現在は学生を集めるために力を入れている大学も多いことでしょう。それははっきり言えば「売り上げ」のためです。

売り上げがあるから大学が多くあるのです。誤解を承知で言えば、ビジネスとして成り立たなければ大学なんて経営する必要ないとさえ思います。

そんな大学が無償で経営されるということは、大学が全て「国の管理下」に置かれる危険を示唆(ぼんやり示す)します。

となるとどうでしょう。学問の自由が大いに脅かされてもおかしくありません。

これはあくまでも可能性の話であり、私も、国を恨んでいるわけではないのでこのあたりにしておきますが、事実こういうことが可能だということは覚えておくといいでしょう。

気づいた時には私たちが働いた給料がムダなところに使われることになります。

こちらの本は学生の獲得に苦しむ大学について紹介しています。

教育無償化についての提言

さて、ここからは大学以外の教育無償化についても考えていきます。でも、この記事を見ている方はおそらく大学の無償化について興味があると思うので、さらっといきます。

私は、「簡単に教育を無償にすべきではない」と思っています。

なぜなら、教育とは人間の可能性を広げるものであり、無償にして強制的にやらせるものではないからです。

それは親がやればいいことです。学校で教えてくれない大事なことは親が教えればいいんです。親ができないということは、時間に余裕がないということです。収入が少ないということです。あるいは、親が子育ての仕方を知らないのです。

あるいは、図書館がやればいいことです。本を無料で借りられるわけですから、これほどお得な機関はありません。もっと休憩スペースや設備を充実して、快適な場所にするお金くらいできるはずです。教育無償化に比べれば安いものです。

インターネットによるコミュニケーションが主流の今、必要なのはリアルなつながりです。子どもが家族以外の他人と触れる機会は学校の他にはそれほど多くはありません。習い事も学校の友達がいることを考えると、ほとんどないと言ってもいいかもしれません。

また、親の負担が減るように労働面の改革から手をつけ、学校は学校として、親の子育て教室をやるのもいいと思います。あくまで民間主導で、財源を国がサポートするという形だともっといいです。

別に私は今の牢獄みたいな学校の存在を肯定しているわけではないですが、社会の縮図として必要なのかなとも思っています。一概にすべてなくなれ!とは思いません。

でも、教育を無償化するというのはなんか違うかなと感じています。

つまり、「もっとほかにやることあるでしょ!」ってことです。

ちなみに幼稚園や保育園は無償にする前に、まず数が足りていないのでそれをなんとかするのが先です。こちらも問題になっていますが、また別の話です。

見え隠れする「人材」という言葉

教育無償化の記事を調べていくうちに、妙に目についたのが「人材」という言葉です。

私ははっきり言ってこの言葉が嫌いです。人を材料か素材か何かかと思っているのでしょうか。

「人をモノ扱いするな!バカァ!」って言わせてください。言います。言いました。

人材投資ってなんですか?教育ってそんなちんけなものだったのですか。人ですよ人。もっと大切に考えましょうよ。人は材料ではありません。

「人づくり革命」もなんだか物騒ですね。

人間を手段にするなってカント(ドイツの哲学者)も言っていました。

教育という大事なことを考える以上、細部の言葉選びにも気をつかってほしいものです。

2017/11/25追記:「人材」も「逸材」の材のようにプラスの意味みたいです。言葉って難しい。でも革命は……。

追記ここまで

あくまでも、私が思うというだけの話ですが、なんとなく共感できるという方もいると思います。

もし、私の基本的なものの見方について興味があれば以下の記事を読むことをオススメします。

手段と目的

まとめ

ここまで、大学無償化について論点をまとめてきました。こうしてみると、大学そのもののあり方が問われているといっても過言ではなさそうです。

ちょうど時代の過渡期にあるところに、いきなり無償化をするのは私はちょっとずれているような気がします。まずは給付型奨学金(返さなくてもいい奨学金)でしょう。

ですので、私の立場としては「現時点では大学無償化に反対」ということになります。しかし、他人の考えに惑わされず自分で考えるということがあくまでも大切だと思います。

大学という最高学府を無償にするということは、教育自体の考え方も大きく変わるものと考えられます。

時代の波なんてテキトーなことは言いませんが、この記事を読んで、少しでも大学無償化について考えるきっかけになれば幸いです。

それでは、ここまでお読みいただきありがとうございました!

日々の生活によりよいを

ノリ

コメント

  1. 名無し より:

    最後にある返さなくて良い奨学金に対してなのですがそのようにしてしまうと私立に流れる人たちが金銭的に得してしまうと思うのですがどうでしょう?

    • ノリ より:

      コメントありがとうございます。
      「給付型奨学金を受け取る人は受け取らない人と比べて不公平じゃないか?」という質問でよろしかったでしょうか。

      おっしゃる通りだと思います!だからこそ不公平さをなくすために成績優秀者(もちろん受験時ではなく大学での成績です)や低所得者(これは高収入であっても親が無駄遣いばかりしてるために大学に行けない人を網羅できませんが)などに対して給付するのが一番妥当じゃないかなと私は思っています。

      全員に給付したらそれは無償化と何も変わらないですし。給付型奨学金は全ての大学で実施すべきとは言いませんが、子どもの数が減少している以上、今後推し進めるといいと思っています。

      もし自分の質問の解釈が間違っていたら、またコメントしていただけると嬉しいです。

  2. みかん より:

    私は6年分の奨学金を借りている大学4年次生なのですが、これまで借りた人はどうなるのでしょうか?2年後から開始されるなんて…「家庭の年収」という条件にあてはまるので、かなり損した気分です。

    • ノリ より:

      コメントありがとうございます。
      簡単に調べた限りでは、これまで借りた人には何もないみたいです…

      損した気分、本当にその通りです!私自身は奨学金を借りていませんが、知り合いや今3年次生の後輩も同じ気持ちを抱いていました。

      不公平感はありますが、大学に進学しない人や、一人暮らしで家族も大学に進学しない人であれば、「消費税が10%に増えるだけ!」と強く思うかもしれません。2年後であっても、家庭の年収がぎりぎり条件に当てはまらない人も同じような損した気分になると思います。

      そこで、自分に強く関係ある話であるかどうかにかかわらず、「これからの人をより良くするための福祉のひとつ」として考えてみてはいかがでしょうか。

      定員割れの大学などの問題はまだあります。しかし、これから大学に進学する人が増えて、教養を身につければ個人にとっても社会にとってもより良くなります(と思いたいです)。

      ですから、あくまでも自分が対象にぎりぎり入らなかった福祉政策だと思えば、納得できるかもしれません。

      知人は納得してくれませんでしたけどね!その気持ちを大切にしてください!!

  3. 大学生 より:

    私は周りの友人たちが学費のために苦労している姿を常に見ています。だから、無償化には賛成の立場です。
    けれど、こちらの記事を読ませていただいてから考え方が変わりました。

    無償化する前に改善すべき問題があり、さらに大学のあり方を考え直すのも大事だというご意見は目から鱗で、自分の考えの甘さを痛感しました。

    拙い文章で申し訳ありません。
    自分の意見を考え直すのにとても参考になりました。ありがとうございます。

    • ノリ より:

      コメントありがとうございます!

      丁寧に言葉にしてくださり、本当に嬉しい気持ちです。
      私も元々無償化には賛成でしたが、大学に通っていない半数の人たちのこと、財源などを考えると、まだまだ詰めが甘いように思えてなりません。

      1年前の記事ではありますが、教育関係についてはこれからもチェックしていますので思い出した時にでもお越しください!
      ありがとうございます。

  4. ぽんた より:

    私は【大学無償化】、おおいに賛成です。今すぐにでも実現してほしいと常々思っています。

    しかし、その前提として、現在の、大学が乱立している状況を整理しなければならないと思います。「誰でも名前さえ書けば入れる」(本当にそこまでひどい大学があるかは知りませんが)と言われているような大学はもちろん廃止すべきです。国立大学とマーチ以上の、いわゆる「入学するのにそこそこ苦労する大学」以外は、廃止すべきです。これは差別ではありません。なぜなら、そもそも大学は学問をするための場所であって「大卒資格」を与えるためだけの場所ではないからです。学問をするためには基礎的な学力が必要です。その基礎的な学力を身につける場所が小学校、中学校までの義務教育であり、高等教育です。そこで基礎的な学力すら身に付かなかった人が、大卒資格が欲しいという理由だけで大学へ行って、何を学ぶことができるのでしょうか?
    大学で学ぶことと、中学高校までの教育とは根本的に違います。大学では、自分が何を学びたいのか、目的意識を明確にしなければ何も得られないままあっという間に卒業年次を迎えるでしょう。逆に、「これを学びたい」という意識を明確に持っている人にとっては、大学は学びの宝庫です。大学がコスパが悪いと感じる人は、「何かを教えてもらう」「誰かに導いてもらう」という受け身の態度の人です。受け身でいたら、大学で多くのことを得るのは難しいでしょう。大学は自ら学ぶ場所だからです。

    大学=難関大学という状況になれば、大学に行きたい人は必死に勉強しなければなりません。「そんなこと言ったって、大卒じゃないと就職不利やんかー!」と思うのであれば、勉強を頑張ればいいのです。そもそも、大卒以上を採用条件にあげるのは、「大卒=少なくとも基礎的な学力を身につけた人」と社会が評価しているからです。それなのに、基礎的な学力すらなくても親が金さえ払えば大卒資格が得られる今の状況の方がおかしいのです。

    大学を無償化することの最大のメリットは、親世代の経済的格差の影響を少なくできることです。「親の経済状況に関わらず、能力のある人、意欲のある人はお金の心配をすることなく自分の努力次第で大学に進学できる」という状況になれば、親世代からの影響を少なくできます。学歴はそのまま生涯賃金の差に繋がる、というデータもあります。今、難関大学と言われる大学の学生の多くは生まれつき経済的に恵まれている人たちです。彼らの多くは卒業後も、経済的に恵まれた職業に就くことができるでしょう。それはつまり、親世代の経済力の差が、そのまま子供世代の経済力の格差に繋がっているということです。それはとても恐ろしいことだと思います。どんな環境に生まれようとも、自分の努力次第で人生を変えることができる、変えやすい世の中であるべきです。今の日本の大学のあり方は、それを阻んでいます。

    だから、私は【大学授業料無償化】に賛成です‍♀️

    • ノリ より:

      コメントありがとうございます!
      全て読みました!結論は違うものの、辿った思考の過程で似ている部分が多くあり、不思議な気持ちになりました。
      COVID-19の感染拡大の中で、多くの大学がその価値を問われ、非常に大きな転換点が訪れています。
      改めて「大学」が何をする場所でどういう価値があるのかといった、本質に迫る議論が進んでいて喜ばしいです。

  5. 匿名 より:

     とても面白い論だと思います。ただ差し出がましいようですが、もう少しメリットについて記述した方が説得力が増すと思います。タイトルにもメリット、デメリットと書いてあるのですから、メリットが「経済的に助かる」程度ではデメリットとのバランスが取れてないように思われます。この2つを総合的に評価した上で結論を出さなければ“薄い論”だと思われても仕方ないと考えます。少なくとも、タイトルを意識して記述するということは非常に基礎的かつ重要なことですから、このことだけでも心に留めれば、もう少し良い文章が書けると思います。

    • ノリ より:

      コメントありがとうございます!
      確かに立場ありきの論展開ですね!記事を投稿した当時はデメリットについて書かれた記事がほとんど見当たらなかったからという理由もありました。
      ご意見ありがとうございます。参考にさせていだきますね!

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