こんにちは!ノリです。
「日々の生活によりよい」がテーマのブログ「ノリトラス」です。
今まで、何回か自分の意見とブログの方針についてお話をしてきました。
はじめに知ること、考えること、伝えることが大切だという話をしました。
次に、知ることをより詳細に解説したのが、情報、知識、技術の違いです。
そして、それらの考えは行き過ぎれば足りないのと同じということもご紹介しました。
今回は、矛盾についてお話していきます。
これは中庸にも少し関係する話です。
矛盾とは
まずは矛盾とは何なのか知っている方も多いかとは思いますが、おさらいしておきます。
矛盾とは、故事成語です。語源は「どんな盾でも貫く矛」と「どんな矛でも防ぐ盾」を売る商人がいて、「その矛でその盾を突いたらどうなるのか」という質問に答えられなかったことから来ています。
要するに、道理が合わないとか、つじつまが合わないということです。
ではどうしてこれがブログの方針になるのでしょうか。
人間とは矛盾を抱えるもの
人間は矛盾を抱えるものといきなり定義してしまいました。
なぜなら、現代の多くの人が矛盾を抱えていると思うからです。
たとえば、歳をとるのは嫌なのに長生きはしたいという方。いますよね。
人間の言うことって矛盾していることが多々あります。
言っていることとやっていることと違う言行不一致は矛盾の最たるものです。ホンネとタテマエです。
また、ことわざにも多くの矛盾があります。
三度目の正直という言葉と二度あることは三度あるという言葉は両立しません。
このように、人間は多くの矛盾を抱えながら生きています。
そもそも、生きている以上は確実に死に向かうことは避けられないのに、闘っています。
生きているのと死んでいるのは同時に存在しませんよね。
だから、矛盾は人間が生きている限り避けることのできないものだと私は考えるのです。
矛盾と闘う
そこで大切なのはもちろん矛盾と闘うということです。
人生の意味なんて本当はないと知りつつも生きる喜びを探すのは人間の性(さが)というものでしょう。
矛盾とは、ちょうどいいを探すのではなく、前提を疑うということです。
その点で中庸とは意味が違います。
例えが下手で申し訳ないですが、やきそばとパンがあって、どちらかを選べって言われてなんでどっちかしか選べないの?って疑問が矛盾です。
そこで、やきそばパンを選ぶって言うのが中庸です。
矛盾に気づくことがなければ、正しい道を選ぶことはできません。
しかし、この場合はやきそばパンという選択肢はないのですから、必ずどちらかを選ばなければなりません。
矛盾と闘うにしても避けられないような状況になってしまいます。
そういう状況に陥ったときにはどうすればいいのでしょうか。
矛盾とともに生きる
矛盾は結構だ。矛盾をむしろ面白いと考え、そのズレを平気で突きだせばいいのだ。そうすれば、いままでのオッチョコチョイとは違ってくる。今度はみんなが本当に喜ぶ不思議な魅力を持った人間になる ―岡本太郎
矛盾が避けられないとわかったら受け入れるしかありません。
長生きしたければ、しわが増えても、ボケても我慢する以外に方法はないのです。
戦争は話し合いで解決できていないので、悲しくも戦争でしか解決できないのです。
もちろん、中立が選ぶならそれでいいんです。中庸になれるならそれに越したことはありません。
しかし、物事をするかしないかという状況だと矛盾を抱えていてもどちらかを選ぶしかありません。
しかし、この矛盾を自分で知っているかどうかは大きな違いになります。
矛盾の存在自体に気がつかなければどんどん道を踏み外していてもそのままです。
逆に、矛盾としりつつ行動しているならそれが自分を一歩前に前進させる鍵になります。
それは、諦めではありません。
まとめ
矛盾を抱えているのはブログのテーマである「日々の生活によりよい」も例外ではありません。
このブログを読むことがよりよいのか、日々の生活によりよいを意識することがよりよいことなのか正直私もよくわかっていません。
このブログを読んで日々の生活によりよいを意識して取捨選択を行った結果、このブログが読まれなくなるということもあり得ます。
しかし、それでいいのです。
私の目的はあくまでもこのブログを読んでいる人に「よりよい」を考える手助けをすることです。
ブログ自体が「よりよい」になるのはその通過点でしかありません。
といっても、私はブログを楽しいからやっているだけなのですが。
日々の生活によりよいを
ノリ
信念のまとめ
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