こんにちは!ノリです。
先日から始めた自分の意見とブログの方針についての記事の2つ目になります。
前回をお読みでない方はぜひ合わせてご覧ください。
その記事で紹介したのは知ること、考えること、伝えることの3つが私にとって大事だということでした。
今回お話したいことは、同じ方向性で別の角度から知ることに近づいたものです。
その考えは昔からいつもしていたというわけではなく、最近するようになったのでまだ飲み込めていない部分もありますが、ご意見ご感想のある方はぜひ下記のコメント欄にお願いします。
それではさっそく本題に入ります。
知考伝と異なる視点
前回の記事では知ること、考えること、伝えることの3つが揃わなければせっかくあるものも無駄になってしまうという話をしました。
これら3つの位置関係は、三角形をイメージしていただけるとわかりやすいかと思います。三角形の3つの頂点が知ること、考えること、伝えることです。
こんな感じ。
これらのうち1つの頂点が欠けてしまった時点で図形にはなりません。
つまり、相互に関係しあっているということです。
「伝えて」もらわなければ「知る」ことはできませんし、「知る」ことなしに「考える」ことはできません。「考え」なしに「伝えて」もろくなことになりませんし、「知る」ことはまた、「考え」なければできません。
このように3つが密接に関係しあうことで他人とコミュニケーションをとり生きていくことができると私は考えています。
知考伝は完璧じゃない
しかし、一見すると素晴らしい考えに見える(?)この話にはたくさんの落とし穴があります。
その中のひとつが、じゃぁ「知る」って何?「考える」ってどうやって?「伝える」ってどこで?といった疑問に答えていないところです。
なので知考伝の話を補強するような別の考えが必要になってきます。
そこでつい去年くらいにできた話が「情報・知識・技術」です。
これは知考伝の話の「知る」の部分を補強する考え方になります。
つまりこういうことです。
この線で切られると知だけが頂点となった小さい三角形ができますね。
それを今度は知が上になるようにして、今回お話することを図示すると
このようになります。
わかりやすいと思って図を作りましたが、下手ですみません>_<
この図を見て、おそらく知ることの中に3つのタイプがピラミッドのようになっているということがわかると思います。
この図を念頭に置いていただいて、さっそく本題に入り……あれ、今本題でした!
情報・知識・技術とは
知るとはどういうことかといわれてもなかなか定義づけることが難しいかと思います。なので私が勝手に定義することにしました。
他の人が私と違う使い方をしていても全く気にしませんし、言葉に意味の多少のズレがあるのは仕方がないことだと思っていますので、それだけ言っておきます。
情報
一番の土台となるのが「情報」です。
ある出来事や説明を知っただけの状態をいいます。
情報という言葉を使わずに情報を説明するのはなかなか難しいですね。
簡単に言えば、耳で聞き流しただけ、知っただけということです。
頭でわかっているだけで実行に移せていない。または知っているとは言ったもののうまく説明はできないことなどが情報です。
たいしたことないように思われるかもしれませんが、情報こそ知ることの基礎であり、これをおろそかにするとそこから上も全部ダメになります。
なるべく能動的に情報を入手することが望ましいですが、受身でも情報を得ることができます。
たとえば、テレビのCMであったり、広告であったり、近くの人の会話であったりですう。
しかし、受身でも手に入れられるのはここだけです。あとは自分で考えて知らなければいけません。
もちろん、この記事も、このブログに書いてあること全部が情報になります。
これについてはあまり深く考える必要はないと思います。
情報は料理にたとえるなら食材です。
食材がなければはじまりませんが、それが料理の全てではありません。
知識
それに対して知識は自分の経験や情報を自分なりに解釈したものです。
食材をちゃんと料理できて、おいしく食べられることができる状態をいいます。
情報をちゃんと知識として飲み込むというのは、知っているだけでなく、それがわからない人にも説明できることや、自分の中でわかっている(あるいはわかっていないということがわかっている)ことです。
これができるかできないかでとても大きな差がうまれます。
例えば料理も、食材があってもそれを調理しなければ意味があまりないように、情報は上手に自分の中に取り入れて知識にしないともったいないです。
たくさん本を読んだら、そこに書かれた多くの情報をなるべく吸収しようとするでしょうう。
この時点で自分だけのオリジナルの情報ができます。それが知識です。
技術
これでおわりかと思いきやまだ続きがあります。
情報を知識に変えたからといって、それをいつでも使っていいわけではありません。
友人とお菓子を食べているときに「これを食べ続けるとこういう病気になってダメ」などと言っても友人からしてみればそんなことは知っているとなるかもしれません。
いくらいい食材、いい経験があっても同じ料理しか作れないのであれば料理人としての腕はまだまだでしょう。
技術とは、知識を使うか使わないかを選ぶということです。
たとえばあなたがバスケットボールをするときのことを考えます。
バスケットボールはゴールにボールを入れて点を競い合うスポーツですよね。これが「情報」です。
そして、実際にバスケットボールをやってみて、シュートができるのが「知識」です。
しかし、シュートができるようになったからといって、ボールを持ったらすぐシュートをしていたら相手に動きを読まれてしまいます。
そこで、シュートをするか、パスをするか、ドリブルをするか選ぶわけです。これが上手にできる人がバスケットボールの「技術」を持っているといえます。
会話であっても適切なタイミングで適切なことを言うのは大事です。空気を読めということではないですが、口をついて言葉がでてくるよりも、考えてから話したほうが世の中スムーズにいくかもしれません。
まとめ
伝わりづらい部分も多くあったと思いますが、最後までお読みいただきありがとうございました!
この考え方は割となんにでも応用が可能です。
情報を知識に変え、知識を技術に変えていくことで様々な場面で役にたつと思います。
技術までいくのが大切なのですが、土台は情報にあることを忘れずにいてください。
もうわかってると思いますが、これはただの私の意見です。そして情報です。
それを知識に変えるもよし、技術にまで身につけるもよし。好きにしてください!
大切という点でみれば知考伝の方をより意識した方がいいです。
今回はあくまでもじゃぁ「知る」ってなんだよって方に向けてお話しました。
あなたにとって目新しいことがあったかはわかりませんが、日々の生活がよりよくなるよううにと願うばかりです。
そう、願うばかり。
日々の生活によりよいを
ノリ
信念のまとめ
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