ゲームが「時間の無駄」と思う人は人生も無駄にする。その理由とは

ゲーム学

ゲームとは、不必要な壁をわざわざ乗り越えるべく努力する営みのことである。-バーナード・スーツ

こんにちは!ノリです。

いきなり意味ありげな引用からはじまった今回の記事。

ゲームやってますか!やっていましたか!

PS4・ブラウザ・STEAM・スマホ・3DS・Switch、色々ありますよね。私は日常生活に支障がない程度にやっています。

色んなゲームをやっていて楽しいんですけど、「もしかして時間の無駄なんじゃないか?」と思うときってたまにありますよね。

今回はそんな方向けにお話ししていきます。

また、ゲームはやらないけれど誰かに対して「ゲームは時間の無駄だからやめさせたい」と思っている方にも読んでいただければ幸いです。なぜかというと、考えなおしてほしいからです!

結論から言うと、「ゲームは時間の無駄じゃありません!無駄に思っても良いことありません!」ということです。今からその理由をお話していきます。

さっそく見ていきましょう!

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ゲームは時間の無駄なのか

ゲームとは

この記事でのゲームとは、一応液晶画面を見て遊ぶタイプのゲーム、つまり家庭用ゲームや携帯用ゲームを指しますが、他のボードゲームやトランプ、スポーツなどにも言える話です。

さて、広い目で見たときにあなたにとってゲームとは一体何でしょう?

暇つぶし?

面白いから?

それとも惰性でしょうか。

これらは、ゲームをする理由ですね。

もっとゲームそのものに与える定義(意味)のようなものを考えてみます。

といっても、ここは先人の力を借りることにして、Wikipediaに登場してもらいましょう。

ウィトゲンシュタイン(哲学者)はルールや競争をキーワードにしています。しかし、必ずしもこれに当てはまるとは限らないともしています。

カイヨワ(人文学者)は

  • 楽しみのために行われること
  • 時間と場所が区切られていること
  • 勝敗が不確定であること
  • 何かを生産するものではないこと
  • ルールに支配されること
  • 現実の活動から意識的に切り離されていること

これらをゲームの参加者が知っていることであるとしています。

正直、よくわかりませんよね。もっとすっきりとした定義はないのでしょうか。

そこで見つけたのが、冒頭で引用した定義です。

ゲームとは、不必要な壁をわざわざ乗り越えるべく努力する営みのことである。-バーナード・スーツ

これなら、どのゲームでも当てはまりそうです。

ルールや競争は問題ではありません。必要かどうかが大事なのです。

ゲームは必要なのか?

ゲームが不必要な壁を越えるため努力するだけだったら、「ゲームは必要なのか?」という疑問が当然出てきます。

ですが、「ゲームは必要ない。だから時間の無駄なんだ」と結論にしてしまうには早いです。

まずは「ゲームが必要かどうか」というところからみていきます。

ゲームが必要な人を考えます。例えばギャンブル依存症の人であれば、ゲーム依存症の方がマシと思って必要かもしれません。両方に依存してしまうかもしれませんが。

入院中の人はどうでしょう。ゲームをすることもできますが、本も読めますしラジオも聴けますね。

ゲーム会社に勤めている人は?ゲームを作っている人にとっては収入源ですから必要でしょう。しかし、別にその仕事でないとすぐに命を落とすというわけでもなさそうです。

つまり、「ゲームは(生きる上で必ずしも)必要ない」ということになります。

あらら。

必要ないから時間の無駄なのか

先ほどで「ゲームは必要ない」という結論が出てしまいましたが、だからといって「時間の無駄」と結びつけるのはやっぱりまだ早いです。

確かに、日常生活で私たちは「必要ない」ものを「ムダ」とすることが多いです。

「必要」の程度にもよりますが、「生きていくための最低限」だとすると、ほとんどのことが必要なくなってしまいますよね。

ということは、先ほどの論理でいくとゲームどころかほとんどの活動が時間の無駄になってしまうわけです。

顔を洗うのも無駄ですし、ファッションも無駄、食べ物を選ぶのも無駄、どこかのスタンド使いが叫びそうなくらい無駄のオンパレードになってしまいます。

その先に待っている結論は「生きることも無駄」です。

そこまでいっても何もないでしょう。

ゲームは人生だ!

ゲームと人生の関係

「必要」の定義をさらに広げると、「必ず要する」ということですね。これは「誰にとって」、「何にとって」という言葉を補わなければ成り立ちません。

「私がゲームすることは私にとって必要」と言えばそれでおしまいなのです。みもふたもないでしょう。

確かに、「知らない誰かにとって私がゲームをすることは時間の無駄」と思うかもしれません。もっと言えば、「地球にとって私がゲームすることは時間の無駄」と思ってもいいでしょう(地球が時間の無駄と思うのかという疑問はおいておいて)。

これは、そっくりそのまま人生にも当てはまることです。

「私が生きることは私にとって必要」これは当然ですよね。でなければ今キーボードをたたいていません。

「知らない誰かにとって私が生きることは時間の無駄」かもしれませんし、「地球にとって私が生きることは時間の無駄」かもしれません。

生きるだけだったら誰でもできます。生まれたときから常に最低限の生活をしてきた方もいることでしょう。ですが、本人にとっては必要でも、地球や宇宙などより大きな視点から言えば、

「不必要な壁をわざわざ乗り越えるべく努力する営みのこと」というだけかもしれません。

ゲームは人生で、ゲームは人生。哲学的ですね。

ゲームの否定は人生の否定

極論を言ってしまえば、ゲームを否定するのは、人生を否定するのと同じです。

ゲームだけが時間の無駄で、その他の活動が時間の無駄ではないなんて言うのはおかしいですから。

それに、意味(時間の無駄だと思うかどうか)を持つのは本人以外にあり得ないのですから、自分が時間の無駄と思えばそうですし、そう思わなければそうではないのです。

「ここまで読ませておいてなんだその結論は!」と思うかもしれませんが、私は他にいい回答が思いついていません。

でも、時間の無駄かどうかは本人次第だとしても、時間の無駄と思うことは明らかに健康上、デメリットしかありません。

そのことを最後にお話しします。

時間の無駄と思うことの弊害

ゲームを時間の無駄と思うと、多くの場合「後悔」が生まれると思います。

しかし、誰もがすっかり忘れてしまうことを除けば、過去は変えられません。変えられるのは解釈のみです。

「ゲームをしていた自分」を時間の無駄だと解釈したことになります。

しかし、そんなことをして何の意味があるのでしょう。

まず第一に、後悔の気持ちで前に進むことができるかもしれませんが、それではもう時間の無駄と思うことはできなくなります。「ゲームをやっていた自分は時間の無駄だと思うけど、それがあっての今の自分なので無駄じゃない」ということです。

そうでなければ、後悔の気持ちで止まるどころか、後ろに下がってしまうことがほとんどです。それで体調を崩すならゲームをしていた方がいいでしょう。

ゲームをやるとやる以前よりひどくなる」という人もいると思います。でも、ゲームをやらなかったらもっとひどくなっていたのかもしれませんし、変えられない過去ではなく、「次はしない」と思って行動すればいいだけです。あまりにもひどければ病院に行くという選択肢もあります。

こういうと一部の人が怒るかもしれませんが、病院に行くのは別に恥ずかしくないです。

世界保健機関(WHO)もネットゲーム依存症を疾病として扱う予定だと言っています。

でも、私はゲーム依存症よりも、ゲームの時間を無駄に思うついでに、人生が時間の無駄だと思ってしまうことの方がよっぽど良くないと思います。

依存症は、それに逃げることで最低限の健康を維持しているという側面もあります。その場合逃げなければもっと恐ろしいことになるのですからやむをえないとも言えます。

まとめ

まとめると、ゲームは「不必要な壁を越えるために努力すること」であり、その意味で人生と同じです。

ゲームを時間の無駄と思うかどうかははっきり言って本人次第ではありますが、基本的に時間の無駄と思って良いことはありません。

たとえゲームを時間の無駄と思って悪いことがなかったとしても、その考えを他人に押し付けるのは間違いなく悪いことでしょう。

ゲームは時間の無駄じゃない!だってそれは、人生だから!!

さぁ、ここまで読んで安心できた方はゲームに戻ってください!

ここまでお読みいただきありがとうございます!

日々の生活によりよいを

ノリ

コメント

  1. ジョン より:

    通りがかりです。
    楽しく読ませていただきました^^
    以下は僕の意見ですが、、、

    ゲームを安易に無駄なものとは言えませんよね。
    人生自体は意味がなく、意味とはその人個人が持つ目的によって付加されるものだと僕は考えるので、結局は人の価値観によるんだと思います。
    僕はモンハンを通して偶然親友を得ましたし、塞翁が馬、人生何がどう影響するかわからないから面白いですよね。

    少なくとも、ゲームは無駄という論調は偏見です!
    現実とは別の世界に没入するという点では映画も同じですからね。
    特に最近のps4なんかではグラの鑑賞性もましていて、他にも見やすいメニューの配置など、工夫を凝らした部分は現実でも役に立つと思います。
    海外ではゲームをライフスタイルとして考える向きもあるようですしね。

    • ノリ より:

      コメントありがとうございます!

      おっしゃるとおりです。
      ゲームは依存症や引きこもりとセットで考えられることもありますが、それも偏見だと思います。

      無駄と思う以前に「有害」とさえ思う方もいますから、きちんと説明は必要ですよね。自分は偏見を減らすような記事をこれからも書いていこうと思っています。

  2. 賢者 より:

    ゲームは人生ですか。それはそれでとても良い答えだと思いますが私はこう思ってます
    ゲームは生きる為の糧です
    というかゲームは時間の無駄とかいう人は映画を観る事も無駄になりますし観光旅行に行く事も無駄になりますよね。そもそも娯楽そのものが無駄になります
    そう言い返したら基本相手は黙ります。考えます
    なぜ人間はゲームや映画を観たり観光旅行に行くのか。とてもシンプルな答えです
    気分転換したい。気持ちの整理をしたい。ストレス解消したい。楽しみたいからです
    それは心のケアであり自分の中にある歯車に油をさすような行為だからです
    人間は心のケアしながら生きていく生き物です
    ですから生きる為にこれからも堂々とゲームをして行きましょう
    生きる為に必要な事ですからしょうがない。心のケアしなければ心の病気になりますからね。ゲームが好きな人がゲームをする事はとても大事なのです
    ゲームは楽しめるから無駄ではないのです。以上!

    • ノリ より:

      コメントありがとうございます!
      新しい表現ですね。納得しました。
      ゲームが好きならゲームをしても何の問題でもないですし、言い換えるとゲームが好きじゃない人しか「時間の無駄」と思わないはずなんですよね。
      人それぞれってことですね。以上!

  3. 通りすがり より:

    いや、無駄でしょ!?
    成果主義にどんどん移行している昨今の中で、ゲームに費やしている時間を現実社会で何か実成果物として成しましたか?と言われたら、何も物にし得てないでしょ!?
    息抜きに僅かな時間をゲームに使うくらいなら別ですが、金まで投資してやるべきことではなく、無駄以外の何物でもないですね!

    • ノリ より:

      コメントありがとうございます!

      「生活に支障をきたすレベルで時間やお金をかけるのはもったいない」という意味でしたら、ゲームに限らず私も賛成です。

      ですがそんなレベルで熱中できる何かがあるのなら(依存症などは別として)人生もっと楽しいですよ!

  4. nao より:

    主さんの仰るとおり、ゲームは決して無駄でもなく悪でもないと私は思います。
    私は大人になってからマリオやカービィ、スマブラを長時間プレイしましたが、反射神経がかなり良くなり部屋に飛んでいる羽虫を片手で掴んで始末できるようになりました。昆虫恐怖症にもかかわらず、です笑
    また、日常生活に「闘い」が加わったことにより持病で寝込みがちでしたが、毎日イキイキと生活できるようになりました。それまでは歩いて近くのスーパーに行くことすらできなかったのです。
    ゲームのタイトルにもよりますが、アクションゲームは厳しい世の中を生き抜くためのパワーを貰えるような気がします。反対に、どうぶつの森など、ほのぼのとしたゲームの熱心なプレイヤーはとても優しく繊細な人が多いです。悪く言えば世渡りが下手、うつになりやすそうだな…と思ってしまいそうなタイプです。
    ゲームの良さがわからない人はわからなくて結構( ^ω^ )私は死ぬまでゲームやります!!長文失礼しました(*´꒳`*)

    • ノリ より:

      コメントありがとうございます!

      ゲームって不健康なイメージがある方もいますが、ゲームで健康になることも多いのですよね。

      こちらこそ長文ありがとうございますっ!

  5. 杉本貴史 より:

    ゲームは「不必要な壁を越えるために努力すること」であり、その意味で人生と同じです。と、何故、断言されるのか、理解出来ません!
    ゲームと人生とは、全く無関係です!

    • ノリ より:

      コメントありがとうございます!
      ご指摘を受けて記事を読み返してみたところ、確かに言葉足らずな部分があると私も思いました。

      ゲームが「困難」と「努力」からできているとすると、人生も同じ要素を持つのではないかという話しでしたが、わかりにくいですね!

  6. ハリガネムシに より:

    ゲームは他の受動的な娯楽よりはるかに時間とエネルギーを要し、しかも費やした時間、努力が社会的に認められない。
    勉強やスポーツに費やしたら、周囲の評価や収入に直結する。
    ゲームはどっかの誰かが作った世界で仮想に努力してるだけ。現に自分の周囲の人間でゲームにはまった人は、低学歴でなんの才能もなく低賃金の悲惨な仕事してる。ゲームは無能な人間をつくりだす装置。

    • ノリ より:

      コメントありがとうございます!
      ハリガネムシにさんの意見に概ね同意するとしても、「ゲームは無能な人間をつくりだす装置」と言うほどではないと私は思いました。
      その論調だと結論は「勉強とスポーツが先でゲームは重要ではない」ということになりそうですね。

      • ハリガネムシに より:

        返信ありがとございます。
        やはり、行き着く先は毎日仕事をして生活することになるので
        その仕事と給料に不満があるのでは、ゲームによって成績が落ちるのでゲームは害悪ですね。
        娯楽として気分転換にゲームして、仕事につながることに積極的に取り組めるのなら、ゲームは非常によいものだと思います、ただ、あまりに悲惨な例を多くみるので。
        一流大でてバリバリ働いて充実してそうな人たち、何人かに聞いたらゲームは小学生までで、あとは部活や勉強に忙しかったと、みな言ってました。

  7. より:

    >私はゲーム依存症よりも、ゲームの時間を無駄に思うついでに、人生が時間の無駄だと思ってしまうことの方がよっぽど良くないと思います。

    教養の無さが滲み出ているような内容だが、「ゲームをやっていた時間が無駄だった」と後悔している人の中で、「人生が時間の無駄だ」と論理の飛躍をするような人間は君しかいない。

    ゲームが無駄な時間だったと考える人は、通常全く逆の発想。
    つまり、「人生が貴重な時間だからこそ、それをゲームなんぞに使ったことが無駄だった」と考えているということ。

    小さい頃の遊びの範囲ならまだしも、ゲームなんぞで教養がつくこともなければ体力がつくこともない。
    そんなものに無駄にハマって無駄な時間を費やすのは底辺の阿呆のみ。

    そういった人間が「ゲームは無駄じゃない」といいながら大した学歴もなければ文化芸術スポーツの才能もなく社会的地位も収入も低い人生を送るのなんざ好きにすればいい(その程度の連中の安い人生なんぞどうでもいい)と思うが、そんな道を自分の子供には絶対に歩ませたくない。
    少なくともこんな稚拙な文章を公開するような無学無教養の人間にはさせたくないし、そうなった人間を反面教師としてもらいたいと思っている。

    • ノリ より:

      コメントありがとうございます。
      左様でございますか。
      教養が一体何を指すのかよくわかりませんが、たくさんの人を敵にしているような気がして心配です!

  8. キャンドル より:

    30までゲームやってたが
    ルックス、身体能力、人脈、知能すべて何一つ育まれなかった

    趣味ならスポーツや料理やってたほうがよっぽど有意義
    換金性もないから毒にも薬にもならなくてギャンブルよりしょーもない

    • ノリ より:

      コメントありがとうございます。
      ルックスはともかく、身体能力や人脈、知能が育つゲームはあります。
      そのようなゲームと巡り合わなければ無駄に思うのも仕方ないのかもしれません!

  9. ジャッキー より:

    オレは、無駄と言う人の気持も、無駄じゃないと言う人の気持もどちらもよくわかる。
    でオレはと言えば、フィフティフィフティだ。
    これは良いようで最悪かもw
    どちらにも転べないw
    以前は毎日8時間3年間で世界ランク取った廃人だったけど、今は一切やってない。
    でもやりたいと思う時もあるが、金がかかるのでやらないでいる。他に使うものがあるので。
    金にも余裕が出来て、他にやることもなくなったらまた復帰するかも。
    もしくは衝動で復帰するか先はわからんなぁ。
    そのやってた時は、やって良かったと後悔はしていない。
    今からそれをもう一度やるのは、時間の無駄って気もかなりする。

    • ノリ より:

      コメントありがとうございます!
      わお!フィフティフィフティなのですね!それは素晴らしいことだと思います。

      過去の良い記憶として気持ちの整理がついているのなら、それは時間の無駄じゃないんです。これから先ゲームをせず生きていくのも、それまでの生活や経験があったからこそできる選択ですよね。
      人生のうちどこかでゲームの優先順位が下がることがあるにせよ、また上がったっていいと私は思います。
      大切なのは、ゲームが時間の無駄かどうかではなく、過去や今の自分を受け入れられるかどうかなのかもしれませんね。

  10. より:

    やらない方が調子良かったので無駄じゃないけどもっと良いことはいくらでもありますね
    そういう意味では時間の無駄でした

    • ノリ より:

      コメントありがとうございます。
      ゲームをやらないことで別の何かができるという意味では無駄なところもあるかもしれませんね。
      他の何にでも言えてしまいますけど!

  11. いそ より:

    ゲームが無駄かどうかは、ゲーム全体か、または特定のゲームが本当に好きかどうかですね。

    その辺で変な形の石を拾ったり、ひたすら地図を見るのが好きという人もいますし、その人にとって価値があると思えば無駄ではないと思います。
    客観的な価値を気にする事にあまり意味はないですし、自分が価値がないと思えば辞めた方がいいです。

    また、射幸心を煽るゲームをやり続けて中毒になってしまうと私生活に悪影響がでますし、イライラしながら惰性で続ける事は短い人生では無駄な時間になるかもしれません。

    心から楽しみながら時間を潰すのが有意義な人生だと思います。

    • ノリ より:

      コメントありがとうございます!
      私もほぼ同じ考えです。客観的な価値を基準にするのが悪いとは言いませんが(人気のクルマやカードをコレクションしたり)あくまでも価値は自分が良いと思うかどうかだと思います。
      無駄だと思いきれない何かがあるなら、それはきっと無駄じゃないのです。
      中毒性のあるゲームも、やらされているとか、やめられなくなるようにさせられているのではなく、「自分がそのゲームをやることを選んでいる」とした方がいいかもしれませんね。
      「心から楽しみながら時間を潰すのが有意義な人生」いい言葉ですね!苦しい時間も受け入れられたらさらに良いと思いました!

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