こんにちは!ノリです。
前回は、「強者と弱者」、「考える人と考えない人」の2つの軸から、性格(というより生き方)を分類してみました。
図に表すとこんな感じです。
前回の記事をお読みでない方はあわせてどうぞ。
さて、今回お話するのは、これらのタイプにほとんど当てはまらない、「真ん中付近の人」について考えていきます。
私は、その真ん中付近の人を、「賢者」と定義することで、話を理解しやすくしたいと思います。
どこにも属さない、それが賢者
賢者とは?
賢者は、上の画像でもわかるように、どこか特定の場所にいるわけではありません。
考える時もあり、考えない時もある。強者であり、弱者である。それが賢者だと私は思います。
この2つの軸、4つのタイプどれか特定のものに当てはまるようなことはありませんし、誰かを当てはめるということもしません。
ある意味で、「型破り」です。
考え方が偏らないよう気を配っているので、様々な人と柔軟に対応することができます。
強きを挫き、弱きを助けるようなことをしそうですが、積極的にはあまり他人と関わろうとしません。
しかし、人付き合いは上手であることには変わりなく、どこにいても自分のパフォーマンスを発揮できます。
また、基本は考える姿勢を持っていますが、考えすぎるということはなく、適度にやめることができます。悩まなくていいことには悩みませんし、考えるべきことはしっかり考える。特にそれらの判断が素早いことが賢者の特徴です。
賢者というと「ひげをこしらえた老人」「世俗から離れた世捨て人」のようなイメージがある方もいるかもしれませんが、賢者はほとんどどの年齢でも見られますし、世捨て人になっているとは限りません。
人付き合いができて、多数の視点を常に持ち、状況に応じて視点を切り替えることができるという一見パーフェクトなタイプです。
特にデメリットもなさそうですし。でも、自分が目指さなければいけないかというと、疑問ですよね。
そこで次に、なぜ賢者を目指すのかの話をします。
なぜ目指すのか
「賢者の良さはわかったけど、押し付けるなよ」と思う方もいることでしょう。
もちろん、私も押し付けるつもりは全くありません。しかし、私が目指そうと思うのには大きく2つの理由があります。
1つ目の理由は、「せっかく人間として生まれてきたのだから成長し続けよう」と思うからです。自分から主体的に学ぶことなしに生きる人生は、人としてもったいないんじゃないかって私は思います。
別に他人に言われるままの人生だったり、自分の人生を生きることができていない人を否定はしません。それも一つの生き方だと思います。
しかし、これらの人は、最期の時を迎えて、賢者ではなく後で説明する絶望人になってしまう可能性があります。
ですから、絶望人になるのを避ける、つまり成長し続けることで「なんだかんだ良い人生だったな」と思えるような生き方ができればそれで充分なわけで、それに適した生き方が賢者というのが1つ目の理由です。
もうひとつの理由は、「極端に振り切れてしまった人(典型的な4タイプの人)」は、長所とともに短所も大きくなってしまうからです。
賢者は、短所を限りなく0にし、あったとしてもそれを補える長所を持っています。
性格は、変えられるものです。
変えなければいけないという決まりはありませんが、逆に、変わらないことは不可能です。
私はこの世で永久に不変のものはないと思っています。良い方に変わっていく人もいれば、悪い方に変わっていく人もいます。どうせ変わるならいい方向へ変わりたいでしょう!
「そもそも何がよくて、何がわるいのか」という話ですが、これはもう「学ぶ姿勢があるか」に尽きると思います。
自分で新しく情報を身に着け、飲み込み、心得る。そうして知識になったものを状況に応じて適切に使っていく。それが賢者の姿勢です。
情報・知識・技術の話はこちらの記事にまとめています。
[link url=”https://noritlas.com/information-knowelage-skill/”]「人間的に完成された状態に近づきたい」という人もいることでしょう。「そんなことどうでもいい」と思う人も大勢いると思います。
しかし、私の意見としては、ぜひこの記事を読んでいるあなたにも、賢者のあり方を目指してほしいのです。
絶望人~賢者の裏側~
賢者の弱点?
デザイナータイプの人は、アーティストタイプの人と過ごすことで弱点を補うことができますし、強者の人と弱者の人がお互いの意見を取り入れれば、視点がより広がると思います。
しかし、賢者にも欠点があります。それは、「安定の裏に隠れた不安定さ」であり、賢者タイプの人は2つの不安定さを乗り越えなくてはいけません。
1つ目は、「自立ができているがゆえの不安定さ」です。
賢者は賢く、また、偏りませんから、一人でも生きていけますし、他の人と協力することもできます。
しかし、自分ひとりでもある程度なんでもできてしまうため、だんだんと他人と協力しないようになることがあります。
時に人に頼ることができるのも賢者の良い所なのですが、「あれ、自分だけでやった方が効率よくない?」みたいなことを考え始めると、だんだん絶望人になっていきます。
もう1つの不安定さは、「周りに似たタイプがいない不安定さ」です。
人は、自分と似たような人を好きになる傾向があります。
世の中は白黒はっきりしないグレーの世界が広がっているはずなのに、ほとんどの人たちは、白黒で決めてしまいがちです。
「白と黒」もそうですし、「男と女」「右と左」「善と悪」「光と闇」など、人は対極の2つのものが好きです。晴れじゃなかったら、雨!くもりが続くとなんだかすっきりしませんよね。
こういうことを、「二元論」と呼びます。世の中の多くの事柄は、二元論によって支配されています。
例えば、最近であれば「男と女」以外の性別も認めらてきていますが(私はずっと前から認めていますし、気にしていません)、昔は男じゃなければ女であり、男=優、女=劣という思想もまかり通っていました。
性格もそうです。ある程度タイプに分けられるならまだいいのですが、どこにも属さない人というのは判断が難しく、嫌煙されることもあります。
賢者には、ぱっと周りにいないことが多いです。インターネットによって多くの人と物理的な距離をまたいで関われるとしても、です。
類は友を呼ぶと言いますが、賢者は「私こそ賢者です!」なんて言いません。言うならそれはただの嘘つきだと思います。「悟った」という人が悟っていないのと同じです。
ですから、賢者同士が出会うことは珍しいのです。よって、「自分はひとりぼっちだ」と常に弱さと向き合うことになり、これから目をそらしたり、無理に打ち勝とうとしたり、勝手に負けたりすると、絶望人になってしまいます。
絶望人とは
賢者は、光も闇も抱えていますが、全体としては光の方向へ向いていますし、光を探しています。
しかし、絶望人は「闇にとらわれすぎたあまり、全体として闇の方向に向いてしまった人」のことを言います。
画像でも、色を反転させてみました。同じ世界を見ているはずなのに、絶望人はまるでサングラスをかけているように、光=ポジティブな考え方、情報が入ってきません。
この世全てを恨んでいたり、すでに何もかもがどうでもよくなっている場合もあります。
自覚しているなら、一度精神科を受診された方がいいかと思います。
精神科というとイメージがとても悪いかもしれませんが、本当に絶望してしまって自殺してしまうよりはよっぽどましです。
歴史上に偉人と呼ばれる人に、賢者は数多くいましたが、そこから絶望人になってしまった人も少なくありません。
『羅生門』を書いた文豪の芥川龍之介は「ぼんやりとした不安」という言葉を残して、この世を去っています。
他にも太宰治や、アーネスト・ヘミングウェーなど、作家には自分で命を絶った人が多い印象を持つ人もいるかもしれません。
それは、「自分と常に向き合い続けた」からであり、むしろ向き合うことしかできなかったからだと私は思うのです。
賢者と言えど、人間はひとりで生きていくことは不可能です。これはもうはっきり言っておきます。
「サバイバル3の法則」では、3か月の間全く人と接触しないと命を落とすとも言われています。
誰にも頼らないというのは、極端な思想です。「成長し続ける」という考え方も、完璧ではありません。時には止まってもいいのです。
別に成長を焦る必要はありません。ずっと止まっていることは問題ですが、ずっと進むのも問題だと私は思います。
成長を焦るあまり絶望してしまったり、自分で全てやろうとするあまり絶望してしまったら元も子もありません。
だから誰もが目指してほしい道である「賢者の道」は相当に険しいものなのです。
まとめ
自立は大切です。しかし、他人を頼るということも同じくらい大切なのです。
バランスがとれて安定している状態が賢者なのであって、それは学びよって支えられています。
バランスの話は中庸の話ともつながると思います。
[link url=”https://noritlas.com/goldenp-mean/”]非常に言いにくいことではありますが、私は賢者を目指す人を応援します。
しかし、くれぐれも絶望しないように……脅しじゃないよ!
日々の生活によりよいを
ノリ
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