学問って何?学ぶことに意味はあるの?と思う方へ

      2017/03/26

こんにちは!ノリです。

はじめましての方ははじめましてです!

そうじゃない方はいつもありがとうございます!

この記事を見ているあなたは学生ですか?それとも社会人ですか?

いずれにせよ学ぶことに意味があるの?と思う方がいると思います。

今回は、その学ぶこと、つまり学問とは何ぞやということについてお話していきます。

スペースの都合上、抽象的な話が多くなるかもしれませんが後日具体的な内容の記事を出しますのでよろしくお願いします。

 

学問とは

学問ときいてあなたがイメージするものは何でしょうか。

  • 勉強を堅苦しく言い換えただけ
  • 学び問う
  • 大学での学び

など色々なことが思い浮かぶと思います。

私がまずはじめに思いついたのは、

『学問のすすめ』……福沢諭吉……ということでした。

 

天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず ―福沢諭吉

この言葉は誰でも知っていることでしょう。

意味は、人は生まれながらにして平等であり、身分や貴賎で差別するべきではないというう教えです。

しかし、周りを見渡してみると、いじめ、学歴、貧困など、差別は絶えません。当然お金持ちもいれば、貧乏人もいます。

福沢諭吉もこれを無視していたわけではありません。彼はこう続けます。

 

人は生まれながらにして貴財貧富の別なし。唯学問を勤めて物事をよく知る者は貴人となり富人となり、無学なる者は貧人となり、下人となるなり。―福沢諭吉

要するに、生まれたときに貧富の差はない。でも、学問をしている人は貴人となり、そうでない人は貧しい人になると言っています。

しかし実際に貧困はなくなっていないじゃないかという人もいるかもしれません。しかし、経済的な豊かさならまだしも、心の豊かさは簡単にははかれません。

だから学問をする人が心が豊かになるのかは証明できません。

しかし、私は学び問うことに意味があると思っています。

 

どうして学ぶことに意味があるのか

逆に意味がないという人は何に意味を求めているのでしょう。

そもそも「意味」ってなんでしょう。「それをする価値」ということでしょうか。

学ぶということは、真似ぶということです。人類は他人から、歴史から学んで、文化の発展をしてきました。

その成長スピードは他の哺乳類と比較できないほど速いです。

知ること、考えること、伝えることが大切だという話は以前しました。

基本的な自分の意見とブログの方針!「知・考・伝」

学ぶということは知ることです。知ることには善いか悪いかはともかく、意味があります。なので価値がないということは説明できません。

つまり、学ぶこと自体に価値がないのではなく、学びの内容によっては価値がないということになります。

 

学ぶ価値のある学び

価値の話はふわふわしていて難しいのでしないことにします。

つまり、神様のような人間より上の存在が思う価値と、全世界の人間が普遍的に思う価値についてはここでは取り上げません。

今からお話するのは学ぶ当人が主観的に思う価値です。

本人が意味があると思えばあるし、意味がないと思えばないんです。それは価値を感じていないということでしかないのですから。

実際に価値のあるなしは考えません。

となると、実際問題になってくるのは、自分が学びだと思えば学びだということです。

学びに意味があるの?と思う方の問題は「自分が思う学びと違うし、その内容に価値があると思えない」ということです。

 

やりたくないことはしなくていいの?

それでは価値があると思えないことはしなくていいのでしょうか。

答えはYESです。

本人の意思がないのなら勉強でも学びでも身にならないのでやるだけ無駄だと思っています。

たとえ先生や親にいくら勉強するとこんないいことがあるよと言われても、勉強するのはあなたなのですから、その話を聞いても納得できないのならやらなくていいです。

しかし、問題はその後です。

 

学びを避けた先

今ある学びを避けて一体なにを学ぶというのでしょうか。

人生に必要なことを必要なときにだけ学べばいいと思いますか?

それは英語を全く知らない人が英語圏の国に行くのと同じです。効率は良いですし、習得もはやいでしょう。

しかし、それは、失敗の連続です。学校で勉強をするのとは比べ物にならないほどの失敗を繰り返します。あなたはそれに自信を失わず耐えられますか?

算数ができないと会計のときに誰かに教えてもらわなければいけません。

しかも、それが必須の場合はまだましです。

しかし、疑う力を持たないまま、学びが理解できないまま社会に出たらどうなるでしょう。

この資本主義社会において自分で考えることのできない人は格好のカモです。エサです。誰かに搾取をされ、他人の人生を生きる未来しか待っていません。

それで構わないというならいいでしょう。

人は生きているだけで誰かの迷惑になり、誰かの役に立っているので、必要ないということもありませんし、当然見下すこともしません。

しかし、そうなりたくないなら多少いやなことでも学んだ方がいいです。

なぜかというと、やりたくなくても価値があると感じていることはやった方がいいからです。

やりたくないことはやらなくていいと言いましたが、それは価値や意味を見出せない場合です。そうでなければやりたくなくてもやりましょう。

たとえば、絵を描くことが好きな人がいるとします。人物画を練習している過程であるならば、人体への理解は重要です。

写真を撮る人なら撮ることの次に構図やカメラの設定が大切です。

これらが大切だとわかっていながらやらないというならそれはただの怠け者です。

そんな人に成長は望めないでしょう。

学問も同じです。

学問に価値があると思わないならやらなくていいです。

しかし、価値があると思っているけどやらないのは良くないです。

先生や親は勉強に関しては、価値があると思わせることが大切なのでしょう。しかし、無理な押し付けはそれこそ自分で考えるきっかけを奪うことになります。

 

まとめ

宣言したとおり、抽象的なままおわってしまいました。

今回の記事で伝えたかったことは、

  • 学問とは、学び問うことである
  • 学びは、本人の内側にしかない
  • 意味がないと感じたらやる必要はない
  • しかし、意味があると感じているならいやでもやった方がいい

です。

学問や勉強についてのもう少し具体的な話は次回に回します。

 

日々の生活によりよいを

ノリ

 

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