学問とは?学ぶことに意味はあるの?と思ったら読む記事

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ノリ
ノリ

こんにちは!ノリです。

難しそうだけど、なんとなく大事なのはわかっている「学問」。

しかし、学ぶことに意味があるのか、疑問に感じることもあるかもしれません。

今回は、「学問とは何ぞや」ということについてお話していきます。

学ぶことに意味があるのかという話もしていきます。

ぜひ最後まで読んでいただければと思います。

それではさっそく見ていきましょう!

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学問とは

学問ときいてあなたがイメージするものは何でしょうか。

  • 勉強を堅苦しく言い換えただけ
  • 学び問う
  • 大学での学び

などが思い浮かぶと思います。

辞書での意味を確認してみましょう。

【学問】

1 学び習うこと。学校へ通ったり、先生についたり、本を読んだりして、新しい知識を学習すること。また、身につけた知識。「学問のある人」「学問する楽しさ」
2 理論に基づいて体系づけられた知識と研究方法の総称。学。

デジタル大辞泉より引用

学問というと、高度な科学や研究が思い浮かびますが、実は家で本を読むのも、Youtubeで動画を観るのも学問です。

新しい知識を学習するということがポイントです。

学校の授業と講義だけではないということです。

 

学問のすすめ

私がすぐ思いついたのは、『学問のすすめ』でした。

天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず ―福沢諭吉

この言葉は有名ですよね。
意味は、人は生まれながらにして平等であり、身分や貴賎で差別するべきではないという教えです。

しかし、周りを見渡してみるといじめや学歴、貧困など、差別は絶えません。
当然お金持ちもいれば、貧乏な人もいます。

福沢諭吉もこれを無視していたわけではありません。彼はこう続けます。

人は生まれながらにして貴財貧富の別なし。唯学問を勤めて物事をよく知る者は貴人となり富人となり、無学なる者は貧人となり、下人となるなり。―福沢諭吉

生まれたときに貧富の差はないとしても、学び続ける人はお金持ちになり、そうでない人は貧しい人になると言っています。

福沢諭吉は「みんな学問しましょうね、学び続けましょうね!」ということを言っているのです。

だからこそタイトルも「学問のすすめ」なのです。

福沢諭吉によれば、学問をすることこそ財産を増やすきっかけとなります。

 

学ぶことの意味・重要性

学ぶことは明らかに重要で、意味があります。

学問のすすめに関係なく、学ばなければ生きていけないからです。

学ぶということは、真似ぶということです。人類は他人から、歴史から学んで、文化の発展をしてきました。

その成長スピードは他の哺乳類と比較できないほど速いです。

他にも、学ぶことには知るという意味もあります。知ることには善いか悪いかはともかく、意味があります。
なので価値がないということは説明できません。

仮に価値がないとしたら、学ぶこと自体ではなく、内容に価値がないということになります。

よりよく生きていく上で、私が大切だと思う価値観はこちらの記事で詳しくご紹介しています。

基本的な自分の意見とブログの方針!「知・考・伝」

 

価値のある学び

価値の話はふわふわしていて難しいのでしないことにします。

神様のような人間より上の存在が思う価値と、全世界の人間が普遍的に思う価値についてはここでは取り上げません。

今からお話しするのは学ぶ当人が主観的に思う価値です。

本人が意味があると思えばあるし、意味がないと思えばないんです。それは価値を感じていないということでしかないのですから。

実際に価値のあるなしは考えません。

となると、実際問題になってくるのは、自分が学びだと思えば学びだということです。

学びに意味があるの?と思う方の問題は「自分が思う学びと違うし、その内容に価値があると思えない」ということです。

 

やりたくないことはしなくていいの?

それでは価値があると思えないことはしなくていいのでしょうか。

答えは「YES」です。

本人の意思がないのなら勉強でも学びでも身にならないのでやるだけ無駄だと思っています。

たとえ先生や親にいくら勉強するとこんないいことがあるよと言われても、勉強するのは自由ですから、話を聞いても納得できないのならやらなくていいかもしれません。

しかし、問題はその後です。

 

学びを避けた先

例えば、学校での学びを避けたとしましょう。

人生に必要なことを必要なときにだけ学べばいいと思いますか?

それは英語を全く知らない人が英語圏の国に行くのと同じです。効率は良いですし、習得もはやいでしょう。

しかし、それは失敗の連続です。学校で勉強をするのとは比べ物にならないほどの失敗を繰り返します。
自信を失わず耐えられますか?私には難しいです。

算数ができないと会計のときに誰かに教えてもらわなければいけません。

必要なときに必要なだけ学ぶというのは理想的ですが、現実的ではないのです。

人は、必要そうなことを前もって学ぶことができますし、学んだことを忘れないように復習することもできます。

学んだことを他の人に教えることだってできますし、それで対価を得ることだってできます。

学びを避ければ、それらが全て失われてしまいます。

それほど極端に学びが嫌だ!という人も少ないかと思いますが、避け続けるのことは難しいことがわかります。

 

それでも学問は嫌と言ったらどうなるのか

学びが理解できないまま社会に出たらどうなるでしょう。

この資本主義社会において自分で考えることのできない人は格好のカモです。誰かに搾取をされ、他人の人生を生きる未来しか待っていません。

それで構わないというならいいでしょう。

人は生きているだけで誰かの迷惑になり、誰かの役に立っているので、必要ないということもありませんし、当然見下すこともしません。

しかし、そうなりたくないなら多少いやなことでも学んだ方がいいです。

なぜかというと、やりたくなくても価値があると感じていることはやった方がいいからです。

やりたくないことはやらなくていいと言いましたが、それは価値や意味を見出せない場合です。
そうでなければやりたくなくてもやりましょう。

たとえば、絵を描くことが好きな人がいるとします。人物画を練習している過程であるならば、人体への理解は重要です。

写真を撮る人なら撮ることの次に構図やカメラの設定が大切です。

これらが大切だとわかっていながらやらないというならそれはただの怠け者です。

そんな人に成長は望めないでしょう。

学問も同じです。

学問に価値があると思わないならやらなくていいです。

しかし、価値があると思っているけどやらないのは良くないです。

先生や親は勉強に関しては、価値があると思わせることが大切なのでしょう。しかし、無理な押し付けはそれこそ自分で考えるきっかけを奪うことになります。

 

まとめ

今回の記事で伝えたかったことは、

  • 学問とは、学び問うことである
  • 学びは、本人の内側にしかない
  • 意味がないと感じたらやる必要はない
  • 意味があると感じているならいやでもやった方がいい

です。

あなたが学び続ける人となるきっかけになれたら幸いです。

 

日々の生活によりよいを

ノリ

 

コメント

  1. にしかわ より:

    ノリさんこんにちは、はじめまして。
    現在、中学校の読み聞かせボランティアをしております、西川と申します。
    同じボランティア仲間のお母さん方は絵本など読んでいますが、私は父親らしさを出したく、絵本は読まずに自分が人生長く生きてきて感じる思いを子どもたちに伝えたく、いつもネットをググったりして参考文献を探していますが、その矢先にこちらのブログに辿り着いた次第です。
    内容拝見するに、とても共感する箇所が多く、ぜひ学ぶ意味が見出せない中学生に伝えたいと思い、一部引用させていただけないでしょうか?
    自分なりの解釈や事例を追加して、文章にまとめて読んでみたいと思います。
    もしご許可頂けるようでしたら、ご連絡頂けると幸いです。
    よろしくお願い申し上げます。

    • ノリ より:

      こんにちは。ノリです。
      コメントありがとうございます!
      メールにて返信しようか迷いましたが、コメントにはコメントで返したいと思います。

      返答としましては、喜んで許可いたします。引用なり解釈なり好きにしていただいて構いません!
      共感する箇所が多いと言っていただけて嬉しい限りです。どうぞご自由にお使いください。

      丁寧にご連絡ありがとうございます!
      まだ至らない点も多くありますが、今後も学びに関しての記事は更新していきますので、ご覧いただけたら幸いです。
      よい読み聞かせになるといいですね!!

      追記:
      [「勉強」嫌いな子どもになる原因は?親ができるとっても簡単で難しい解決法]という記事も古い記事ですが別の角度から学びについて話していますので、こちらも参考になるかもしれません。
      https://noritlas.com/study-life/

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