こんにちは!ノリです。
前回から学問についてのお話をしています。
前回が抽象的な話だったので、今回は少しだけ具体的な内容に入ります。
さて、この記事を読んでいる人の中には、大学に意味があるのか疑問に思っている人もいることでしょう。
そこで、学問という観点から見た大学についてもお話していこうと思います。
まずはその前に学問についておさらいしておきましょう。
学問とはの続き
学問はつながっている
学びということに関しては、様々な事柄が関連して、つながっています。
算数と理科は独立して存在しているわけではなく、算数の数式を理科で使います。
算数にも理科にも偉人がいたり、歴史があったりするので社会にも関係がありますし、そもそもそういった教科は日本語で習うので国語とも関係があります。
教科だけではありません。学問も同じです。
今の日本では、文系と理系に分けて考える傾向がありますが、これはあまり良くないと私は考えています。
なぜかというと、文系も理系もつながっているからです。もとは、「考える」ということから学ぶことが始まったのでした。
学問の起源
学問の起源は古代ギリシャにあると考えています。
いや、もっと昔から学問のようなものはありましたし、もっと後から学問として認められたのですが、ここでは触れません。
プラトンによって創設されたアカデメイアは今の学園=アカデミアの起源です。
そこで学ばれていたのは算術や幾何学、天文学、そして最も重要な哲学でした。
哲学とはつまり、考えることです。昔から考えることに重きが置かれていたことがわかります。
ちなみに狭義の大学のはじまりは中世ヨーロッパのボローニャ大学がはじまりです。この大学は現在でもあります。
当時のヨーロッパでは宗教について学ぶ神学や、法学、医学が中心でした。
アカデメイアの算術などに加えて芸術や文法を最初に学び、学士を取得します。
この学士だけで6年間かかります。その後に神学などを学ぶ人はそこからさらに12年かけます。
学者の道のりは険しいですね。
学びのはじまり
前回の記事で学問は文字通り学び問うことだとお話しました。
「なぜ」と疑問を抱くことが学びのはじまりです。
わからないから学ぶのです。
たとえばスポーツ。上手な人から学んだり、見学って言いますよね。
どうしたら上手にプレーできるのか、あの動きはどういう身体の使い方をしているのか考えることからはじまります。
そして、見よう見まねでやってみます。
私はバスケットボールが好きなので、よくこの方法で上達を心がけています。
百聞は一見に如かずといいますが、一見するよりもやってみた方がはやいなんてことも多いです。
疑問がなければ成長することはできないと思います。
どうしたら良くなるのか、なぜだめだったのか考えなければ変化はとても小さなものになります。
大学の意味
これまでお話してきたことから現在の日本における大学の意味を考えてみます。
ここまでお読みのあなたは、「疑問を持つことが大事なのはわかったけど、それでいいならわざわざ大学に行かなくても良いじゃないか」と思うかもしれません。
おっしゃるとおりです。
疑問を持つためにわざわざ大学に行く必要なんてありません。
もともと大学というものは学生が組合をつくったことによってはじまりました。
職人の工房みたいなものです。学びたい人のもとへ行って、学びます。
年齢や貧富の差は関係ありません。行きたい人だけが行けばよかったのです。特権階級でもありません。
しかし、現代の日本では多くの人が大学へ進学し、学歴という仮面をかぶった偏差値至上主義に染まっています。
最近は抵抗する考えも強まってはいますが、いまだにどこの大学に入ったか、出たかが重要になっていて、大学で何を学んだかは二の次にされているのが現状です。
それでは就職のため、学歴のために大学へ行くのが正解なのでしょうか。
理論の発見
正解をひとつに絞ることが既に良くないので、あまりそういうことはしたくないのですが、私は大学の意味を「新しい理論や法則の発見」をする場所だと思っています。
それは学問に関することでもそうですし、自分に関することでもそうです。
知ることだけなら大学生にならなくても、大学の図書館に入ることさえできればいくらでも学べます。
論文だって公開されていることが多いですし、学術誌は高いこともありますが、最新の知見でなくてもよければ、雑誌もあります。
しかし、それでも大学に入りたいというならよほどの理由があるのでしょう。
もちろん親に言われたからなどと言うのは論外です。親はきっかけであっても動機ではありません。
親は親で意見を聞けばよいのですが、あくまでも考えるのは自分です。
話が少しそれました。
大学へ行く意味は、身分が保障されていながら、知ること、考えること、伝えることができるというメリットにあります。
他にも手段は色々あるのですが、大学に入らず起業をしたらもう一人前の社会人として見られます。しかし、大学生であればまだ学生として大目に見られます。
これは現代の日本ならではなのかもしれません。
これを逆手にとると、大学は大きな失敗を繰り返しても許される環境なのです。
そこで新しいことにどんどんチャレンジします。
私のようにブログをはじめてもいいですし、今まで興味があった趣味に入り浸るのもいいでしょう。
様々なアルバイトをしてみて自分の適性を見つけてもいいですし、旅をするのもその後の人生で役に立つと思います。
大学生は社会に出るまでの猶予期間と考えることもできますが、その中身はまさにこのことにあるのです。
まとめ
新しい理論や法則を発見することが大切なのです。
大学では卒論を書かなければ卒業できません。
しかし、学問には終わりがないです。
その終わりのない学問に足を踏み入れた者が学者になるのです。
そうでない人はただの変態どまりですね!!
うん!
そういった人はぜひ大学へ学びを深めに行きましょう。
日々の生活によりよいを
ノリ
<もうわけがわかりません>
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