自分探しの旅は能動的な受け身かもしれない

      2017/07/27

行くんだよ。ここじゃないどこか。俺たちの本当の居場所に。

オルガ(機動戦士ガンダム鉄血のオルフェンズより)

人は、時として自分を外に求めてしまう。

人からどう見られるか。

どう思われるか。

そして悩む。自分は一体どこにいるのか。

そもそも自分とは何なのか…
数年前、若者の間で「自分探しの旅」というのが流行しました。

ここでの「自分探しの旅」とは、実際にどこか遠くへ旅をして、その中の経験から新しい自分を見つけるという意味です。

心の中の旅ではないのでご注意を。その話はまた別の記事でお話しようと思います。

今回お話するのは、「自分」というものを探して旅に出るということはあるかもしれませんが、それで「自分」がわかるわけではないということについてです。

ひとつことわっておきますが、私は決して「自分探しの旅」を推奨しているわけでも絶対ダメだと言っているわけでもないのでご理解お願いします。

 

自分とは

自分の定義

いきなり難しい話をしますが、避けては通れないのが、「自分」とは何かという話です。

試しに考えてみてください。自分とは?

指で示してみてください。典型的なやりとりを例として紹介します。

―胸を指す

ええ、そこはあなたの胸です。

―鼻を指す

そこは鼻ですね。鼻があなたなのですか?

―額を指す

そこはおでこでしょう。

―全体をぐるっとやる

大体わかりましたが、その境界はどこにあるのですか?

―原子レベルで違いがあると主張

それではあなたと私が手をつないだら原子レベルでどういう境界があるのですか?構成物質は同じのはずですが。

―降参。勝手に境界をつくって「自分」と言っていると認める

大体このような結果となってのではないでしょうか。もちろんどっちが屁理屈なのかよくわからなくなってしまってはいますが、言いたいことはわかると思います。

要するに、自分とは勝手につくった境界で、いまいち説明ができないものなのです。

 

自分はあいまいだ

英語で個人を意味する「individual」は「dividual」分けるという意味に、「in」否定がついてる単語ですから、原義は「これ以上分けることができないもの」という意味になります。

自分の「分」は少し意味がちがっていて、これは「本来備わっている性質」を意味します。もともとは強さなどを表す意味でしたが、次第に自身のことを意味するようになりました。

今でも関西弁では相手のことも「自分」と言いますよね。

似たようなところでは、「てまえ」という言葉も自分に対して用いたり、相手ことを表したりします。たとえば、「手前みそ」や「てめぇ」などです。

これで、自分というものがいかに曖昧か大体わかったと思います。

「あいまい」で「I、MY」ってなんだかおもしろいですね。そんな洒落は求めてないですか。

いや、わからなくてもとりあえず自分はよくわからないものなんだということがわかれば大丈夫です。

 

アイデンティティならまた別の話

アイデンティティとは

自分というものを探すとなると哲学的な話になってしまうので、今度はアイデンティティの話にうつります。

元は心理学用語ですが、一般にも割と浸透している言葉だと思います。アイデンティティ。日本語では「自我同一性」、「自己同一性」という物々しい名前で呼ばれていますが、基本的にアイデンティティで通じます。

このアイデンティティというのは、心理学者のエリク・エリクソンという人が提唱した概念で、「これこそが自分自身だ」という実感を示す言葉です。

たとえば、バスケが好きで毎日バスケのことばかり考えている人は、バスケにアイデンティティがあると言えるかもしれません。

誤解しそうになるのは、アイデンティティは「自分」を説明する言葉なので、「生きがい」とはちょっと違うということです。

「生きがい」を旅で求めるならこれもまた別の話になってしまうので。

「これこそが自分」と言える特技、特徴などがない場合は、「アイデンティティ拡散」と言います。

「自分」と似ているような言葉ではありますが、微妙に違うということがわかると思います。

 

アイデンティティは求めるものなのか

ここで、アイデンティティというのは求めるものなのかという問題が出てきます。

これは、前回の幸せを求めることがいいことなのかという問題と同じパターンです。

幸せを求めるのはもうやめにしよう

何か好きなこと、コレ!と言えることがあってそれがアイデンティティに結果としてなるのであって、それを求めるというのはあてのない旅に出るということになります。

自分に何が合っているのかわからないのは、試していなければ当然です。色々やってみなければ何が得意で、何が好きでということはわかりません。

だから、中学生は高校見学に行き、大学生はインターンシップに行くのです。

何事もやってみないことにははじまりません。

ということは、自分を求めて旅をするというのもあながち間違っていないような感じもします。

しかし、ここには落とし穴もあります。

 

能動的な受け身

能動だけど受け身

どこかへ旅をするというのは立派なことです。

新しいことに挑戦して、未知なる冒険に出ることは不安もありますが、心が躍ることかもしれません。

しかし、そこに「自分を探す」という目的が加わるなら話は別です。

それは、自分で旅に行くという能動的な行動ではありますが、動機としては受け身と言わざるを得ません。

なぜかというと、単純に旅は自分を探すためのものではないからです。

これは別に私の価値観を押し付けたいわけではありませんし、旅をするな言っているわけでもありません。

でも、旅の中でも常に挑戦が求められるのは事実です。旅に出ましたそれで終わりでは何も得られません。

旅に出たのだから自分は変わるだろうと思っていたら間違いです。

まずその気持ちを変えることが一番大切だと思います。

それは、旅に出てからは受け身になることを意味しますから。

 

よりよい旅にする

それではどういう旅にしていけばいいのでしょう。

それは、挑戦し続けることです。「旅の恥はかきすて」というわけではありませんが、普段の自分ならやらないようなことも積極的にやってみるといいでしょう。

さみしかったらスマホに頼らずに人と話せばよいのです。

変わろうという気持ちがあれば人は思うように変われますし、その中で自分にはコレだ!という何かが見つかかもしれません。

でも、大切なのはいつも「自分から動く」ということです。他人の親切を期待したり、旅に変化を求めるよりも、自分から動くほうが楽です。

違う景色が見たいなら季節を移り替わりを待つよりも30分でも歩いた方がはやいということです。30分と言わずとも、横を向いたり、目線を変えるだけでもずいぶん違った景色に見えるはずです。

だから、旅をするのかもしれません。

 

まとめ

旅はいいもんです。お金はかかりますけど。

誰かと行く旅もいいですが、一人もだいぶ色々なところが鍛えられるのでオススメです。

自分を探したいというなら、とりあえずそんなものはないんだという理解で構いません。

でも、旅で見つかるかもしれないというのは事実です。止まっているよりは動いていた方がいいですから。

要するに、実際の行動と、気持ちの両方が大切ということです。

でも、そんなややこしいこと考えなくてもただ旅をするというだけでも楽しいんですけどね。

 

日々の生活によりよいを

ノリ

 

 - お悩み解決, 学生にオススメ, 自転車、旅