社会のレールからは外れてもいいけど、自分の道はきちんと進め!

      2017/07/13

こんにちは!ノリです。

今回は、社会のレールの話です。

レールの話はこちらの記事でも少しお話しました。

ゲームも人生も、Aボタン連打し続けると大変なことになる

そこでお話したのは、「誰かが強いてくれたレール」ではなく、「自分だけのレールを進もう」ということでした。

しかし、この「誰かが強いてくれたレール」とは、一体どういうものなのか、詳しく説明していませんでしたので、この記事で詳しく話したいと思います。

 

現代は自由だ!

言論・思想の自由

現代は、言うまでもなく高度な情報社会に生きており、比較的自由な時代に生きています。

たとえば、今この記事を見るのはいつでもどこでも可能ですし、私がいつどんな記事を書いても自由です。

これは、日本では憲法で保障されていることで、言論や表現の自由があってできていることです。昔であれば、この権利は日本国民に保障されてはいませんでした。

公共の福祉については考える必要がありますが、基本的に何を言っても、何を表現しても自由ということです。

 

また、何を考えても法律で罰せられませんし、逮捕されることはありません。たとえば、「あいつが憎くて悪さしてやりたい」と思っても、やらない限りは本人の自由です。決して、「傷害未遂罪(勝手につくりました)」みたいな罪には問われないわけです。

でも、人間考えてることとやってることが一致していないと不愉快なので、ほどほどにしておいた方がいいと思いますが。

なんにせよ、現代は昔では考えられないほど自由な時代なのです。

 

生き方の自由

それでも納得できない方のために、もう少し説明します。

現代は、農民の子は農民、武士の子は武士と、階級が固定されているわけではありません。

天皇や代々家業を継いでいるという場合は別ですが、基本的にどんな職業に就いても自由なわけです。

今の日本は資本主義経済で動いているので、頑張って成果を出せばそれだけ物質的に豊かな暮らしを送ることができます。

悪く言えば弱肉強食ですが、親の職業や収入に自分の人生が大きく左右されることはあまりなくなったと言えます。

 

さらに、現代と昔の最も大きな変化は、インターネットの存在でしょう。

インターネットがあるからこそ、この記事を見ることができますし、無数にある情報を手に入れることができます。

一歩も動くことなく、世界各地の絶景に見とれたり、海外のニュースを知ったりできます。

確かに、以前書いたように、インターネットで知識を得ることはできませんが、情報ならどれだけでも得ることができますし、情報を知識に変えるきっかけも手に入れることができます。

インターネットで知識は得られない?得られるのは情報だけだと思うよ

しかし、現代がいいところばかりかというと、そうでもありません。

自由に見えても自由でなかったり、社会のレールから外れたら自己責任です。当然その話もしなくてはいけません。

 

現代は自由か?

自由すぎて不自由

現代は、インターネットの多すぎる情報で、自由だけど不自由だと思うことも少なくありません。

選択肢が多すぎると、迷って選べないということはよくあると思います。

たとえば、レストランで、メニューが和洋中なんでも揃って全部で100品くらいあったらどれにしたらいいか迷いますよね。

さすがに今の例は極端かもしれませんが、定食でもABCセットであれば選びやすくても、10種類くらいあるともう私は悩んで迷ってしまいますし、そういった経験は誰でもあると思います。

何にでもなれるということは、迷ってしまうということです。

悪しき就職活動もそうですよね。まだ世間のことを何も知らないまま、いきなり放り出されて、100近くの企業にエントリーをし、いくつもの企業に落とされ、「自分の人生はこれでいいのか」と思ってしまうと思います。

自分は何がしたいんだろうって考えることもあります。選択肢が多いということは、必ずしもプラスにはたらくとは限りません。

次に述べる、社会のレールを自分から選んでしまうという結果になってしまうのです。

 

選びたくないからレールへ

選択肢が多くなり、選ぶことができなくなったとき、他人の意見を参考にするかもしれません。

それは、他人の人生、社会というレールに乗ることと同じです。

せっかく選ぶことができるのに、考えるのをやめてしまって、自分の人生を他の人にあげてしまう人がいます。

選択肢が多いのですから、仕方ありません。

多くの人は楽をして苦痛を避けたいので、自分で無数にある選択肢から選ぶという苦痛を避け、他人のアドバイスに従ったり、他人の言うとおりにしたりして、つい楽をしようとしてしまいます。

自分でなんとなくだめだと思っていることでも、友達や家族から「べつにいいんじゃない」と言われたら、まぁいっかとなってしまいますよね。

実はそれは注意が必要で、他の人が言っているのは「(私にとってはどうでも)いいんじゃない?」ということなのです。誰も助けてくれません。

そうして、社会のレールに乗ってしまうのです。

誤解しないでほしいのは、別に社会のレールに乗ることそれ自体を悪いと言っているわけではないということです。

好きなように生きたらいいですし、他人から言われたことで思いがけない出会いや発見もあると思います。

 

レールは外れてもいい

この社会のレールに乗ることそれ自体は良いこととも悪いことともいえます。

だから、レールから外れてもいいと私は言います。

大事なのは、「外れてもいい」という点です。これも決して「外れろ」と主張しているわけではないので、ただ必要だと思ったことをお話しているに過ぎません。

社会のレールとは、「多数の人が思う常識のようなものでできた人生の道」です。

常識についてはまた別の記事でお話しようと思っていますが、常識も社会のレールと同じように、良くもあり、悪くもあります。

大事なのは、自分の道を進むことです。それ以外にありません。

自分で選んだ道なら良いですし、そうでないなら悪いと言うこともできます。

これはあくまでも私の考えなので、押し付けるつもりは全くありませんが、生きていく上でとても大切だと思っています。

自分にしか歩けない道を歩くということが大切だといいましたが、それはただ単に他人と違うことをしろということとは違います。

そこで大切になってくるのが、「考える」ということなのです。

 

まとめ

なんだかよくわからないことになってしまったかもしれませんが、要するに、現代は自由で、不自由で、社旗のレールは乗ってもいいし、外れてもいいけど、大切なのは「自分がそれを選んでいる」という実感があることです。

どんな道に進むにせよ、ただなんとなくというよりは、「面白そう」という理由だけでもあると良さそうです。

なんとなく生きていたらなんとなく終わってしまいますから。

 

日々の生活によりよいを

ノリ

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