こんにちは!ノリです。
今回は「ゲームは生産性がない」と思ったときの解決法についてお話していきます。
私たちの日常に溶け込んでいる「ゲーム」ですが、ふとしたときに「ゲームは時間の無駄」と思ったことや、誰かに「ゲームは生産性がない」と言われたことはありませんか?
それがどうでもいい人なら良いですが、友達や親から言われると傷つきますよね。
私の親は「ゲームするより本を読みなさい」「ゲームは楽しいけど何も生まない」「ゲームは生産性が無い」といった価値観を持っていました。
だから小学生のとき、「ゲームは1日1時間」と決められていましたし、ゲーム機や電源コードを親に管理されたこともありました。
しかし、今では親も自分といっしょにゲームをしていて、「生産性が無い」と言われることもなくなりました。
なぜかというと、これからご紹介する3つの解決策を使ってきたからです。
結論を先にお話するとそれぞれ「反論する」「やらせてみる」「受け止める」です。
さっそく見ていきましょう!
解決その1:反論する
「ゲームは生産性が無い」と言われて、まず思いつくのが言い返すこと、つまり「反論」です。
ゲームは生産性があると言い返すことで相手の主張を否定します。
もちろん、反論というからにはある程度の根拠がないといけません。
いくつか挙げてみます。
・ゲーム自体に生産性がなくても、リラックスやストレス解消により結果的に生産性が上がる
・そもそもゲームに生産性の話をするのはナンセンス
「ゲームは生産性が無い」と否定されたとき、「うるさい!」と返さず、上手に反論することで相手を説得することができます。
これから今挙げた3つの反論についてひとつずつ説明していきます。
「ゲームは生産性がある」と反論する
つづいて「ゲームは生産性がある」と反論する場合についてお話します。
「読書」であれば本から学び得ることができますし、「楽器の演奏」なら自分の演奏で誰かを楽しませることができます。
同じように、ゲームでも学ぶことはできますし、誰かを楽しませることもできます。
ゲームは試行錯誤によって成り立つものなので、それ自体が「学び」の連続です。
マリオを例に挙げるとクリボーに倒されてはじめて、避けることを覚えたり、踏みつけて倒せることを知ったりといったことも「学び」です。
試行錯誤する能力というのは学びの基礎であり、日常生活色んな場面で役に立つ能力です。
さらに、「人を楽しませる」についても、ゲーム実況やプロゲーマーなどの存在があり、世界中でゲームを遊ぶことで人を楽しませている人たちもいます。
だから「ゲームは生産性がある」と言うこともできるでしょう。
ゲーム自体は生産性がないけど、結果的にはある
この反論は、相手が「ゲームは生産性が無い」に一部同意するものです。
ゲームに生産性が無かったとしても、リラックスやストレス解消の効果があれば、生産性を生み出す「余裕」がうまれます。
それにより「結果的に生産性がある」ことになります。
ゲームで生産性を語るのはナンセンス
反論のさいごの例は「そもそもゲームに生産性の話をするのは間違っている」
という反論です。ナンセンスというのは、「意味がない」ということです。
ゲームは趣味か暇つぶしでやっている人がほとんどです。
趣味に生産性は必要ありませんし、暇つぶしも確かにゲームをやっている間は他のことができなくなりますが、それでもさきほどお話したように結果的に生産性があることになります。
人が好きでやっていることを「生産性が無い」って否定されたら相当傷つきますし、その人とは距離を置くでしょう。
ゲームが好きならそれを止める理由は生産性が無いからではありません。
単純にゲームが好きじゃなくなっただけです。
そこに生産性うんぬんは関係ないのです!
解決その2:ゲームをやらせてみる
「ゲームは生産性が無い」と言われたときの解決策として、先ほどは「反論」を挙げました。
改めて「ゲームは生産性が無い」という人の心理を考えてみると、
・ゲームをやっていたが楽しめなくなった
・ゲームより他のことをしてほしい
実際にゲームをやってもらうことによって考え直してもらいましょう。
ゲームをオススメしてみる
ひとくちに「ゲーム」といっても、様々なジャンルや遊び方があります。
そして人それぞれ向き不向きがあります。
例えば人と競うのが好きで戦って勝つのが嬉しいなら「格闘ゲーム」や「FPSゲーム」などの対戦ゲームがオススメですし、
リラックスしたい、現実から離れたいのなら「放置ゲーム」や「シミュレーションゲーム」がオススメです。
「ゲームは生産性が無い」と言う人はたいていゲームについてよく知らないので、その人が楽しめそうなゲームをオススメしてみましょう。
忙しい人にはスキマ時間で遊べるようなものがいいですし、寂しがりやなら自分がやっているゲームに誘ってみるのも手です。
ゲームを楽しむことができたら、生産性なんて言葉は出てこないと思います!
ゲームをいっしょに遊ぶ
繰り返しになりますが、ゲームについて生産性を考えてしまうのは、ゲームを楽しむことができていないからです。
なので考えるべきはどう楽しめるようにするかです。
ゲームをいっしょに遊ぶことでひとりでは退屈に思っていたゲームでも充実した時間になるでしょう。
いっしょに遊ぶといっても、ただいっしょに遊んでもいいですし、ひとつのゲームを交代で遊んでもいいですし、なんなら実況動画などをみながら同じように遊ぶだけでも楽しいと思います。
解決その3:受け止める
さいごとなる3つ目の解決策は「受け止める」です。
「受け止める」といっても、ただ単に「ゲームは生産性が無い」と認めるわけではないです。
ではどうするのかというと、「言葉の裏を読む」ということをします。
これをすることで本当は何が言いたいのか、どういう気持ちで話しているのかがわかるようになります。
では今から「受け止め方」をお話していきます。
言葉の裏を読む
まずは言葉の裏を読んで、何を伝えたいのか理解しようと努めます。
もちろん言葉尻だけ、顔を見ただけで人の考えが簡単にわかるわけではありません。
とは言ったものの、言葉の裏を読む方法は実は簡単です。
わからないなら聞けばいいのです。
「ゲームに生産性が無い」と言われたら「だからゲームをやめてほしいってこと?」
と先回りして聞いてみましょう!
ゲームをやめてほしいから生産性が無いと言っているだけかもしれませんし、自分がゲームをやめたくて(やめたから)そう言っているだけかもしれません。
それを知る方法は「質問」です。
相手の言いたいことが最初から100%言葉で伝えられるなんてことはまずないですから、質問することによってその精度を高めていくことが必要なのです。
意見を受け止める
言葉の裏を読むことで相手の言いたいことが理解できてきたら、それを受け止めます。
ここで大事なのは、必ずしも「受け入れる」必要はないということです。
「意見に賛成はしないけど、意見を言ったこと自体は否定しない」です。
「ゲームは生産性が無いと自分は思わないし納得もしてないけれど、あなたがゲームは生産性が無いと思っていることを知ったよ」ということです。
「受け入れる」は、「ゲームは生産性無いよねそうだよね」ですが、「受け止める」だと「そう思うんだね」となります。
この「意見を受け止める」ことができる能力は対人関係で非常に重要です。
どの解決策がおすすめなの?
さて、これまで3つの解決策を挙げてきました。
「反論する」「やらせてみる」「受け止める」です。
この中で私がいちばんおすすめしたいのが「受け止める」です。
この「受け止める」方法は仕事でもプライベートでも役に立つ方法で、「NVC(非暴力コミュニケーション)」という名前で体系化もされています。
私自身もこの方法で親と和解したり、誰かと仲直りしたりと役立っています。
感想はこちらで記事にしているので興味のある方はご覧ください!
今後より具体的な手順なども記事にしていく予定です。
まとめ:生産性の議論に終止符を!
いかがでしたでしょうか。「ゲームは生産性が無い」と親や上司に言われた方、または自分自身に向けてそう思ってしまった方がこの記事を少しでも役立てていただければ幸いです。
さいごに私個人の意見ですが、「趣味に生産性の話は不要」だと思っています。
お互いに認め合うことができればいまよりもっと生きやすくなります。
けなしあう、重箱の隅をつつきあうのではなく、受け止める。
そのコミュニケーションこそまさに「生産性がある」と言えるのかもしれませんね。
それではここまでお読みいただきありがとうございました!
日々の生活によりよいを
ノリ
コメント
ゲームは好きだし楽しいんだけど、たしかに「生産性」はない。だから、自分でゲームを一切禁止する「ゲーム禁止週間」を作ったこともあるんだ。
ゲームを禁止することで、浮いた3時間を、読書や勉強に当ててやる。なにかをするということは、なにかをしないということだから、勉強する時間を確保したいなら、ほかの時間から切りとって持ってこなくちゃいけない。ぼくの場合は、それに1番適したのが「ゲームしている時間」だったというわけ。
でも「ゲーム禁止週間」はいつまでも続かない。続くわけがない。だって、ゲームが好きなんだから、それをしている時間がぼくの喜びなんだから。当たり前だよね。つまり、ゲームを手段としてやっているわけじゃなくて、「目的」としてやっているわけ。だからゲームに生産性がないのはその通り! だって、生産性を上げる手段としてゲームをしているわけじゃないんだから! そこを指摘するなんて、まったく見当違いだよね。
ゲームが好きな人がゲームするのは、それ自体が「幸せ」なわけで、幸せにいちいち生産性なんて言葉は必要ないよね。
そうだ。どっかの大学が、「あつまれ! どうぶつの森」をプレイしていると幸福度が上がった! みたいな研究結果をだしてたけど、そんなのわざわざ研究しなくてもわかることだよね。
コメントありがとうございます!
「ゲーム禁止週間」もバランスですよね。
試験や明確な目標がある場合は良いと思います!
とにかく、「ゲームに生産性はない」なんていわれると、気持ちが悪い。
それはソフトクリームのチョコレート味を買っておいて、「このチョコレート味の中にいちご味はない」なんていうみたいに気持ちが悪い。
いちご味食べたいなら、いちご味買えよ。チョコの中にいちごを求めるなよ。といいたくなる。
「おい! ここには生産性がないじゃないかっ!」と怒ってテレビゲーム店に入ってくるお客様には、笑顔で「あら、お客様。ここはテレビゲームのお店ですわ。生産性を求めるなら、向かいの書店や、隣の自己啓発セミナーへどうぞ! もし気分が変わって、日常では味わえない刺激やスリルと冒険、壮大なストーリーや音楽、かわいいキャラたちとのいちゃいちゃなどを求めるなら当店にぜひいらしてください! テレビゲームは、映画や音楽と同じく、現代最高の娯楽の1つです! 」
日本のゲーム市場は、4368億円で10年連続右肩上がりらしい。
この市場規模は、映画の2611億円(国内)と比べても2倍近くある。ひえー! すげー!
ゲームは経済的にも、もちろん娯楽の1つとしても、確固たる地位を築いているといえるね。
最近には、ユーチューバーによるゲーム実況、オリンピックに種目としても認められたeスポーツなど、ゲーム業界のわいわいがやがや感がすごいよね。
そういえば「モンハン」のハリウッド映画も上映されるよね。あの、ミラジョボジョボビッチちゃんの。
日本のゲームがハリウッドで映画化されるのも珍しくなくなったよね。
ゲーム業界はこれからもどんどん拡大して、世界の巨大な産業の1つとしてありつづける。
数えきれないクリエイターたちが、ぼくらをわくわくさせるゲームをきょうも作ってくれている。感謝です。
彼らはボランティアでやってるわけじゃない、しっかり企業に勤めて、車業界や飲食業界と同じようにお給料をもらって働いている。
そしてぼくたちは、1本5000円か6000円くらいで、ゲームソフトを買い、お家でのんびり楽しむ。
これが経済を回すということ。日本の健在な社会を作っているのは、我らがゲームだ!
日々の疲れやイライラも、ゲームすればぜーんぶ吹っ飛ぶ! どかん!
物心ついたときから家にあったゲーム。
もしゲームがこの世になかったら、学生時代の友だちとの会話はかなりつまらないものになっただろうね。
互いにゲームの感想をいいあって、「これいいよねー」「あれってどうすんの?」なんて話しだすと、休み時間なんてあっという間に終わっちゃう。
ゲームは社会人になってからも、1人で楽しむコンテンツであることはもちろん、人と人をつなぐコミュニケーションツールでもあってくれる。
まったくの初対面でも、共通のゲームなら話ができるなんてことが、いったい何回あっただろうか。
これからも一生のお付きあいをするだろう、我が友、ゲーム。
こんな素晴らしいコンテンツに「生産性がない」
なんてつっこむのは、小さくてどうでもよいお話である。(芸能人の不倫騒動並みに)
おっす! ノリの旦那! 最近、あんたのブログを見はじめたぜ!
旦那のその優しい人柄がわかる、ええブログやないですかいっ!
もっといろんな記事を見たーい♡ ゲームもいいし、世間をにぎわしているニュースについて旦那がどんな見解を持っているかも知りたーい♡
例えば、旦那は「転売屋」についてどう思いますか?
転売はいいことだと思いますか? 悪いことだと思いますか? やってみたいと思いますか? 転売をなくすにはどうすればいいと思いますか?
<<世間一般的なパリピさん たくさんのコメントありがとうございます! ブログをされているのでしょうか。「note」や「twitter」で発信するのも良いかもしれませんね!才能ありますよ! 記事に関しては近いうち(いつかは約束できませんが)にアップデートするので楽しみにしていてくださいね!
ノリさーん! 返信ありがとうございます。世間一般的なパリピです。(ほか、いろんな名前を使ってここ最近コメントしてますが、どれも同一人物だということはたぶん、おわかりかと思います)
ここ数日、私には非常に幸運なことがありました。それは、ノリさん、そして「ノリトラス」というブログにうっかり出会ってしまったということです。
そして、いまここで、ノリさんにある告白をしたいと思います。どきどき♡ ……といっても、ノリさんにとっては「なんだそれ!? はあ!?」みたいな反応があるかもしれません。先に断っておきます。
その告白とは、「私は、ノリさんのブログを大いに利用している」ということです。
【「ゲームは生産性が無い」と言われた場合の解決策を教えます。】というノリさんのこのすんばらしい記事に書いた、一連の私のコメントですが……実は……、そっくりそのままコピーして、自分のブログに張りつけ、それを公開しています。
そんなことをした、いきさつを話します。
まず、私も、ノリさんと同じく、ブログという世界に「ええい!」と身を投げた者の中の1人です。
2018年、大学4年のときに私はブログをはじめました。ノリさんのプロフィールを読んで、ノリさんは2016年にはじめたといっていたので、私の2年先輩のブロガーなわけですね。きょうもお疲れっす! 先輩っ!
2018年から、現在まで、約2年ブログを続けている私。ノリさんほどではないかもしれませんが、やはり私もこんなにブログを書いていると、いろいろと悩み、考えるものです。その1つに「どうすれば、自分のブログに人がコメントしてくれるのだろうか?」というものがありました。
この疑問に、私が普段読んでいる自己啓発書のある1文が、素敵なヒントをくれました。
それは、「なにかをもらいたければ、まず”他人に与えること”」です。
私の状況に当てはめると、「自分のブログにコメントが欲しければ、まず”他人のブログにコメントしろ!”」ということになります。
「なるほど! じゃあ、他人のブログにコメントしよう!」と私の意思は固まり、そして、運命といえるタイミングで、ノリさんのブログに流れついたわけですね。
ちょうど私は、「ゲーム×自己啓発」は無敵の組みあわせなのではないか! という内容の記事を書いたばかりでした。そこで、ほかの人の意見も欲しくなり、Googleでそのまま「ゲーム×自己啓発」と検索しました、で! 検索結果のいっちばーん! 上に表示されたのが、ノリさんのブログの記事【ゲームで自己啓発!ゲームで学ぶ時代がまもなくやってくる。】だったのです。
その記事を読み、そしてノリさんのプロフィールを読み、在学中にブログをはじめたことや、年齢も近く、ブログのジャンルもちょっと似ているということから、私は親近感を覚え、「よし、コメントするのは、この人のブログにしよう!」となったわけです。
私はツイッターをやってませんし、ユーチューブにコメントをしたこともありません。つまり、おそらく、生きていてはじめてネットを使って人にコメントをしました。私のコメントバージンはノリさんが奪ったんですね。きゃー!
「どうせコメントするなら思いっきり書こう」と素直に思いました。長文ごめんなさい、とか、そんなのいっさい気にせずに、堂々と、まさに、自分のブログの記事を書くように! 愛を持って、熱量を持って、コメントしたわけです。
ばばばー! っと書き終えて、ふうと一息ついた、まさにそのとき、悪魔のようなささやきがありました。
「こんなに熱量のあるいい文章を書いたんだから、このままこのコメント欄に置いておくのはめっちゃもったいないのではないかっ!」
ノリさんが私のコメントを承認してくれないと、永遠にコメント欄には表示されません。そして、ノリさんが、私のコメントを奇跡的に読んで、さらに奇跡的にスパムとしてゴミ箱にぽいっとせず、承認をしてくれる可能性なんて、ほぼないんじゃないかと!
私は自分のいい文章が消えるのが怖くなり、そして、いい文章を自分のブログの記事にしたい! という欲求を抑えられず、ついにコメントをそのままコピーして、執筆中の記事内に張りつけてしまいました。
これこそが、私の今回のノリさんへの告白の全貌でございます。
「どうか、欲を抑えられなかった、わたくしめをお許しください」
ノリさんからすると、「自分のブログを利用された!」とよくない印象をお持ちになるかもしれません、事実、私は利用しました。
でも、ノリさんは優しいんですね。
ちゃんと私のコメントを承認してくれた! しかも、すべての投稿を! その上、返信までしてくれたっ!
自分の意見を聞いてくれることが、こんなにうれしいものかと私は震えました。
2年間ブログを書いてきた中で、私がまったく知るよしもなかったことです。他人のブログにコメントするまでずーっとわからなかったでしょうね。
この経験は、これからの私のブログ運営に役立たせてもらいます。
「人は、自分の意見が受け入れてもらえないと、この世の終わりというくらい怖い」ということ、そして「意見を受け入れてくれる、その人が世界にただ1人でもいてくれたらすべてが救われる」ということ。
私はこれらの視点を持って、自分のブログのコメント欄について、ブログにきてくれる1人1人についての対応を考えたいと思います。
さあ、ここまでで、またコメントテロをしてしまいましたね。
ちなみに「コメントテロ」とは、昨日思いついた言葉で、人のコメント欄に、莫大な文字量を打ちこみ、場を乗っとり、荒らしてしまうことです。
私は、ノリさんのブログの荒しだったんですね。どうも、荒らしです。ヨロシク!
ということで、私の告白と、そのいきさつについてでした。
どうも、失礼しました。
ノリすわ~ん♡ おはよヨークシャーテリア! わんわん!
きょうも元気にコメントさせてもらいますね。
「いったい、こいつ、何回、同じ記事にコメントすんねんっ!」
とノリの旦那は思うかもしれませんが、許してね。
今回は、ノリさんの記事の素晴らしいところ! という内容のコメントです。
それは、できるだけ多くの視点で意見をおっしゃっているところです。
この記事では、ゲームに生産性がないといわれた場合の解決策として、実にさまざまな意見を述べられていますよね。「ゲームに生産性がある!」「そもそも生産性の話はナンセンス!」とかですね。
私がおおー! と思ったのは「生産性がないという人にゲームをやらせてみる」という意見です。これは、私の中にはなかった発想で、なるほど! そういう考えもあるのか! と勉強になりやしたっ!
いまの時代、こうやって、いろんな視点から物事を眺められる人は貴重な存在だと思います。そしてそういう人はどんどん発信して、世の中をよりよいものに変えていくべきだと。
そうです「よりよい」です。ノリの旦那はいつも記事の終わりにこの言葉をつけていますが、めちゃくちゃ素敵な言葉ですよね。
私がブログを書くのも、一言でいえば「自分やみんなのよりよい生活のため」ですからね。
こういう考えの人が増えていけば、どんどん世の中ハッピーですよね!
[…] が無い」と言われた場合の解決策を教えます。>ノリトラス:https://noritlas.com/game-none-productivity/ […]