こんにちは!ノリです。
今回は、「ゲームも人生も、Aボタン連打し続けると大変なことになる」という話です。
『銀魂』にありそうなタイトルではじまったこの記事。オリジナルなので安心してください。検索しても出てこなかったので、たぶん大丈夫だと思います(笑)。
実は、今回の話にはこのブログのテーマ「日々の生活によりよい」にも深く関係してきます。生きていく上で非常に大切な考え方だと思うので、ぜひ知ってほしいと思って書くに至りました。
それでは、さっそく中身に入っていきましょう!
ゲームのA連打
A連打とは
ゲームでA連打というと何か思い当たることがあると思います。
言わなくてもわかると思いますが、AというのはAボタンのことです。通常ゲームをやっていてよく使うボタンです。
おそらくプレステ系だと○ボタン、Xboxだと×ボタンになります。それ以前のゲームについては詳しくないので知りません……。とにかく、一番使うボタンです。
A連打とは、Aボタンを連続で押すということです。
ゲームをやったことのある方なら誰でもAボタンを連打した経験はありますよね?
どんなときか思い浮かべてみてください。
思い浮かべたら、次に進みます。
A連打をする状況
A連打をする状況は、主に、
- 連打しなきゃいけないとき
- 面倒なとき
のどちらかだと思います。
1の、連打しなきゃいけないときは、ミニゲームや、必殺技とかで使うと思います。他にはつかまれて逃げるときとかもありますね。この状況では、A連打はやらないといけないことであり、やると良いことがあるものです。
もうひとつの2については、こちらの方がわかりやすいかもしれません。面倒な会話、面倒なイベント、面倒な戦闘などの時、A連打していませんか?
私はよくやってしまいます。特にRPGだとレベル上げのために同じような戦闘を繰り返すこともあり、「たたかう」を連打して、敵を倒します。
さて、この1と2の状況を比べてみると、大きな違いが見つかると思います。
それは、1は連打しなきゃいけないのでしているのに対し、2は別に連打しなくてもいいのに、連打してしまっているからです。
考えてもみてください。「戦闘でA連打していたらいつのまにかやられてた」なんてことはありませんか?
「会話イベントでA連打していたら結局何をすればいいのか聞き逃した」経験はないですか?
私はあります。それも一度や二度ではありません。何回も連打しなくていい状況で連打して後悔したことがあります。
あなたも心当たりはないでしょうか。状況2の面倒な時にA連打してしまうという癖がついてしまうと、大変な人生を送ることになります。
これからは、「人生のA連打」について話していきます。
人生のA連打
A連打とは
まず、人生のA連打と聞いても何のことかわからないと思います。だって、今さっき考えた言葉ですから。なので、ちゃんと説明をしていきます。
ゲームにおけるA連打とは、もちろん一番よく使うAボタンを連打することでしたが、それをする理由と、それをして何が起こるかというと、「面倒だからテキトーにやって、後悔する」ということでした。
人生でのA連打も同じで、「面倒だからテキトーにやって、後悔する」という意味があります。それに加えて、「疑問を持たずに、賛成し続ける」というのがあります。
これは、先ほど紹介しなかっただけで、ゲームでもあると思います。会話でAを連打していると、選択肢が出てきたときに、考えるまもなくAを選んでしまうってことありませんか?
多くは「はい」という選択肢ですよね。その結果、変なモノを交換されたり、お使いを頼まれたりすると思います。面倒ごとを避けていたつもりが、逆に面倒ごとに巻き込まれています。
そのとき、あなたは選択肢が出てきたことすらわからずに、「はい」を選んだ後の会話から、「え、今勝手に引き受けちゃった?」とか、「選びなおせないのかな」と思うことでしょう。
しかし、実際には「はい」「いいえ」という選択肢がありました。あなたが見ていなかっただけで、確かにそこには選ぶ道も、選ぶ権利も存在していて、選んだのはあくまで自分なのです。
ゲームのAボタンには、特に意味はありませんが、人生のAボタンには意味があります。それは、「Agree」つまり、「賛成」です。
この人生のA連打をする人は、「イエスマン」とも呼ばれています。要するに、考えずにただなんとなく賛成して、なんとなくついていってしまうことです。
ゲームではA連打してもセーブしていればやり直しがききましたが、人生ではそんなことできません。この意味がわかるのなら、今から話すことがいかに恐ろしいことかわかると思います。
それでは、心して読んでください。
人生A連打する状況
ゲームと同じで、人生も「A連打」するのは面倒ごとを避けたいからで、面倒なことというのは、「知ること」「考えること」です。新しい情報を知って、考えるのが面倒なので、テキトーにやってしまうということです。
その状況は、人によって様々ですが、「疑問を持たない」というのは共通して言えると思います。
ゲームでは、選択肢をすっとばしたのは自分の責任で、ちゃんと選択肢はいくつかから明確に選ぶことができましたが、人生ではそうはいきません。
通常、人生での選択肢というのは、「無数にあって、しかも隠されている」のです。
自分から疑問を持ち、知ろうとして、考えなければ選択肢は増やすことも、出すこともできません。
A連打したら全く他の選択肢の存在に気がつかないまま、生きることになります。
小さいころはよくわからないかもしれませんが、この記事が読めるくらいなら、もう自分で選択肢をつくる力も、選ぶ力もあると思います。
しかし、多くの人がその選択肢、言い換えれば可能性をつぶしてしまっています。
私はそれが残念でなりません、「他人なんだから関係ない」と思う人もいるかもしれませんが、「他人だからこそ大切」ということもあると思います。
人生A連打の恐ろしさ
最初は誰でもA連打
さきほども言ったように、人生でA連打する状況は様々です。それはなぜかというと、私たちは何の疑問を持たずに、誰かによって決められた道を進んでいくことがデフォルト(初期の状態)なのです。
考えてもみてください。人間は生まれたとき、不完全の状態なので、誰か他人、特に親の助けを必要とします。この場合の必要とは、文字通り「必ず要る」という意味です。
これが他の哺乳類であれば、生まれたときから数時間で歩けるようになったり、天敵から逃げることができるようになってきます。
しかし、人間(生物学的にいうとヒト)にはそれができません。生まれてすぐの赤ん坊が二本足で立って歩いたらそれはそれで恐ろしいことです。
なんでできないかというと、理由がありますが、それはまた別の記事でお話しようと思います。
とにかく言いたいのは、「人は一人では生きていけない」というとても単純なことです。そして、自立するまでは親が敷いてくれたレールに乗ることができますし、はみ出しても戻してくれます。
これは、生きていく上で当然のことで、親や先生の言うことを聞くのは何の問題もありません(良識ある家庭ならばの話ですが)。レールからはずれようとする魔の2歳児と呼ばれる反抗期や、思春期などもありますが、それは全て自立のための訓練です。
これらは次にお話する、大人になったときに必要なことなので、とても大事なのです。
大きくなったらA連打じゃだめ
小さいころは決められたレールに乗っていればよかったのですが、大学生になったら、会社員になったら、大人になったらどうでしょう。
大学や企業は守ってくれません。自立を応援はするかもしれませんが、守ってはくれません。
もし、あるとすれば、それまでは親が敷いてくれたレールでしたが、そこからは会社が、大学が「強いて」くれたレールです。あるいは、そのまま親がレールを引き続け、親が強いてくれたになるかもしれません。
何にせよ、自分ではない誰か他人のレールを歩くということになります。
A連打をしていると、勝手にそのようになってしまうのです。
残念なことに、世の中そうできているので仕方ありません。
自分だけのレールは、あなただけが見つけることができます。他の誰にもできませんし、ほっといても勝手に見つかるものでもありません。
自分のレールというのも少しおかしな話ですが、それもまたの機会に話そうと思います。
自分の道を進んでいくことが大事で、それが、ただ他人についていってはいけない理由です。
そもそも、人生はゲームと違って、一度きりです。一回しかないのに、連打しても何もいいことはありません。
私たちは人生でもゲームでもA連打している場合ではなく、しっかりと考えて行動することが大切です。
人生は一冊の書物に似ている。馬鹿者たちはそれはパラパラとめくっているが、
賢い人間はそれを念入りに読む。なぜなら、彼はただ一度しかそれを読むことが出来ないのを知っているから。 ―ジャン・パウエル
まとめ
この記事を書こうと思ったきっかけは、レールから外れる人か増えてきたことと、自分のレールではなく、とにかくレールを外れることを賞賛した意見が見られるようになってきたからです。
「好きなことを仕事に」と言っていますが、方法はふたつの軸があって、今の仕事を好きになるか、好きなことを仕事にするかという軸と、仕事と好きなことをきっぱり分ける
か、仕事と遊びの境界をなくすかという軸があります。
その話と関係するのが、こちらの記事なので、よければどうぞ。好きなことを仕事にって言うけど仕事にしないという選択肢もあるんだよ!
日々の生活によりよいを
ノリ
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