こんにちは!ノリです。
最近はインターネットで「炎上」という言葉をよく見かけますね。
「炎上」とは、ネット用語で、「燃え上がるように非難が殺到する様」を指します。
一気に燃え上がった後は、急激にしぼんでいくことが特徴です。
ちなみに英語では、フレーミングと言い、炎上よりも前から「インターネット上で攻撃的な言葉を使うこと」として、用いられてきました。
さて、この炎上は意図的に狙われることもあり、その事がまた非難の対象になって炎上を活発化させています。
はっきり言っておきます。私は炎上が嫌いです。
理由はたくさんありますが、何といっても「手の上で転がされている感」がいやなのです。
今回はそのことについて詳しくお話します。
炎上に腹が立つ理由
炎上自体が非難を呼ぶ行為です。それは故意であるかどうかに関わらず、過激な発言であったり、賛否が大きく分かれるような発言だったりします。
炎上のきっかけはここでは問題にしないとして、炎上に嫌悪感を抱くのにはいくつか理由があります。
止めない
炎上というのは、自然に鎮火されない限りは炎上を起こした本人であっても事の成り行きを見ています。
これが気に食わんです。家が燃えているなら消化しようよっていう話です。
ある程度反論を用意している場合もありますが、基本的に自然の流れに任せているような印象です。これは、故意に炎上を起こしている場合がほとんどです。
印象かいって思うかもしれませんが、実際炎上を必死になって止めようとしているのは、あまり腹が立ちません。
たまたま炎上したばっかりにたくさんの非難にあい、心身がぼろぼろになったり、インターネット上に残った記録に頭を悩ませたりした人の話を聞くと、同情してしまいます。
止めたくても止められない人がいる一方で、止められるうのに止めない人もいる。
これが私の神経を逆撫でするのです。
非難する方もする方ですが、それはまた別の記事でお話しましょう。
大して考えていない
私が炎上が嫌いなのは、炎上を起こした本人が大して考えていないからです。
いや、考えているのかもしれませんが、故意に炎上を起こそうとしている姿はとても見苦しいです。
きちんと考えられていればまだ故意であっても許せます。非難をしっかりと受け止め、よりよいものにしていこうと考えるなら。
しかし、多くの炎上を起こした人は場当たり的な発言を過激に自信ありげに言って、少しも中身が伴っていません。
そこに腹が立つのです。
非難のレベルも低いですが、そうなるのも当然です。だって発言のレベルがそもそも「○○はバカだ」「○○はダメだ」程度の幼稚な叫びでしかないのですから。
全て計算どおりみたいな感じ
私が炎上で一番腹が立つのがこれです。炎上は狙ってやったので作戦成功、反論は予想できているので計算どおり。これがもう人をバカにしているようで嫌いです。
いや、実際にバカにしているのでしょう。
しかし、炎上に頼らざるを得ない自分にまず嘆いた方が良いと思います。
憎しみや怒りのような負の感情を使ってようやく注目を集められるということは、「自分は人を笑顔にできません!でも怒らせることは得意です!」と宣言しているのと同じです。
一方で、そのような憎しみなどの感情が好きな人や、非難している人に反論する人は、炎上を起こしている人を擁護します。これがいけません。これも計算の内なのです。
よくある「アンチが多ければファンも多くなる」の法則。これの悪用でしょう。
普通は、「ファンが増えると、アンチも増えてしまう」が正しい法則です。しかし、この逆をすることで自分からファンを増やせることがわかってしまうと、人々はこぞってこれを利用するようになりました。
その例はいちいち挙げるまでもありません。
問題は話している内容がどうであれ、炎上という手法が許されるのかどうかです。
許されているから炎上しているんでしょうけど、この話は後でします。炎上をしなければほとんど何の価値もありませんからね。無視ほどつらいものはないですよね。
無視されたらさすがに計算も何もないでしょう。
正直この手の上で転がされている感じが私はたまらなく不快なので、なるべく関わらないようにしています。炎上を楽しめない方はそれでいいと思います。
炎上を楽しむ人の存在
先ほど許されているから炎上しているということを言いました。
楽しめない人は無視をすればいいということも言いました。
ということは、「炎上を許して、楽しんでいる人」がいるということです。
この人たちが厄介なのですね。「たち」と言ったのは、それが炎上を起こした本人だけでないからです。
確実に炎上を冷静に考えた後、楽しんで乗っている人がいる。これが炎上が簡単になくならない原因でしょう。
祭りとの関係
インターネット上では、炎上という言葉の前には「祭り」という言葉がよく使われていました。
こちらも炎上と似たような意味です。ちなみに故意の炎上は「釣り」と呼ばれて、今でも使われています。
「まつり」と「つり」。偶然ですがどこか共通点を感じます。
さて、実際の祭りと言えば花火。どんちゃん騒ぎですが、インターネットの祭りもこれと同じです。
祭りは楽しまないと損と言わんばかりに他の人を巻き込んで、騒ぎに関わろうとします。
炎上を楽しんでいる人は、これと同じことをしているのです。
しかも、実際には特に何もないところがむなしいですね。
そういう意味では祭りは別ですが、その場合は釣りと炎上が同じということになります。
どちらも故意に人をだましていることには変わりないですから。
炎上が炎上を生む
そうやって炎上を楽しんだり、人をだますのは確かに許せません。
しかし、そうして「許せない!」と非難することこそ「炎上」なのです。悲しいことに。
まさに燃え広がるように炎上が炎上を呼ぶのです。これは大変です。
でも、炎上を仕掛けた人にとってはこれはメリットです。なぜなら、炎を大きくすることで多くの人の目にとまるからです。
非難されるということは、必ず擁護する人もいます。だから議論が巻き起こり、それがまた多くの人に知られるということに繋がるのです。
こう思うと人の嫌悪感情をダシにして話題を取るなんてひどいと思います。以上が炎上の仕組みです。
まとめ
私もこんな炎上を非難する記事を書いている時点で既に術中にはまっていると思うと、悲しい気持ちになりますが、少しでも共感できる部分があればいいなと思っています。
世の中を明るくするのは怒りや憎しみや非難ではありません。
笑いであり、感動であり、受容なのです。
だからこそ、こんな記事でも書かせる気持ちにさせてくれた炎上を起こした方々には感謝しましょう。でも一言いわせてください。
もうちょっと正攻法で行きましょう。
日々の生活によりよいを
ノリ
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