「幸せ」は求めるものじゃない。
わかっていても、私たちはしばしば先が見えない幸せを追い求めてしまいます。
幸せというのは、感情的なことかと思うかもしれませんが、考えることで理性の面から考察することもできます。
しかし、感情と理性だけでも「幸せ」について満足な回答は得られません。
そこで役に立つのが、「スピリチュアル」という視点です。
なんだか怪しいと思うかもしれません。私も以前はそうでした(その話はまた別の記事でお話します)。
でも、幸せというあいまいなものについて話す以上、この話は避けて通れません。
ということで今回は、ちょっぴりスピリチュアルな観点から、「幸せ」についての話をしようと思います。
幸せって何
幸せの正体
まずは、私たちが追い求めている「幸せ」とは一体何なのかという話をしなければいけません。
なかなか難しい話ですよね。それは、幸せを説明しようとするとただその例示になってしまうことが多いからです。
わかりやすくリンゴを例にします。
リンゴは何かと聞かれたら「果物」と答えますよね。丁寧に説明すると「バラ科リンゴ属」の落葉広葉樹の果実ということになります。
「リンゴ」とは何か?という質問に対して、「赤い」や「緑色」などの色、「丸い」や「手のひらくらいの大きさ」などの形を言うことは答えになっていませんよね。
なぜかというと、それはリンゴの性質の一部を表しているだけであって、リンゴそのものを示しているわけではないからです。
幸せもこれと同じで、「幸せ」とは何か?と聞かれたとき「お金がある」とか「時間がある」と答えるのは間違いだということです。
それはただの幸せのひとつのあり方に過ぎません。
幸せ全体を説明しようとすると、どうしても定義が難しくなってしまうのです。
これは実は「言葉」全体に関係する話でもありますが、その話はまたの機会にします。
次は、幸せの特徴についてです。
幸せの特徴
幸せの定義が難しいというのがここまででおわかりいただけたかと思います。
しかし、定義が難しいといっても、全く説明できないわけではありません。
大体の人に一致する幸せというものがあります。その特徴は、
- 幸せ自体は目に見えるモノじゃない
- 幸せはその人が何かしらの意味を見出している状態
- 自分ひとりの幸せと全体の幸せは別物
だということです。
そして、もうひとつ忘れてはいけない大事な特徴があり、それが「求めると離れる」というものです。
意外でしょうか。幸せは求めるとなんと遠ざかってしまうのです。
幸せは求めるものじゃない
幸せは副産物
私は、幸せは何かをした時の「副産物」であり、「おまけ」だと思っています。
なぜなら、幸せというものが実態のつかめないものな以上、それを求めても鹿阿他ないからです。
自分が知らないものを求めることなんてできませんし、幸せ自体は求めるものでもありません。
あなたにとっての幸せを思い出してみてください。
- 健康であること
- お金があること
- 心が豊かなこと
- 時間があること
など、様々だと思います。その時、私たちは幸せになりたいからそれをしているわけではありません。
確かにこれらは幸せと密接に関係しているかもしれませんが、幸せのために健康を気にしすぎるあまり、ストレスになってしまったり、お金を求めるあまり心を失ったりといったことは往々にしてあると思います。
健康はまだ求めてもいいかもしれませんが、お金もどちらかというと幸せと同じでおまけの類です。
たとえば、一番あなたが好きなことをやって幸せだと思うとして、それを幸せのためにやっている、またはお金のためにやっていると言えますか?きっと言えないと思います。
だって、好きなことは「好きだから」やっているんですから。当然のことです。
幸せはそのおまけでしかありません。嬉しいことではありますが、好きならちょっとくらい辛くたって平気なはずです。
幸せは存在するのか?
じゃぁ幸せなんていうものはそもそも存在しないんじゃないかと思う人がいるかもしれません。
その指摘はもっともで、幸せを求めて何かをするということは、存在しないものを探し続けるということになります。
わかりやすく例えるなら、「友達」という人はいないのと同じです。
友達を説明することはできませんよね。先ほどの例示の話のように、〇〇さんが友達ということはできても、友達全体を説明することにはなりません。
じゃぁ友達とは何かというと、せまい意味では「親しくなった結果、友達と呼べるようになった間柄の人間」のことです。
「彼氏」とか「彼女」も同じです。
「恋人ほしいー!」って言っている人、あなたの周りにいませんか?
恋人なんていう人は最初からどこかにいて、その人に出会うという話ではないですよね。
普通、仲良くなった人が恋人になるのであって、恋人が最初にいて、それに名前がついているなんてことはないはずです。
幸せもこれと同じで、何か行動やモノや感情があってはじめて幸せだと思うのであって、幸せが最初からあるわけではありません。
ないものは探せません。「探す」という言葉はそれが「ある」ことが前提になっています。
幸せはそこにある
じゃぁ本当に幸せなんてないじゃないか!と思うかもしれませんが、そんなことはありません。
それは、幸せというものが私たちの外にないというだけの話です。
それでは幸せはどこにあるのかというと、もちろん私たちの中です。
幸せだと感じるのは私たちの感情や理性ですからこれもうなづける話です。
なぜかというと、幸せのカタチが人それぞれだからです。
一日中だらだら過ごすのが幸せな人もいれば、スケジュールがぎっしりなのが幸せな人、多くの人とおしゃべりするのが好きな人、ひとりでいるのが好きな人、幸せは無数にあります。
それらは全て私たちの中、内にあります。中にあるものを求めることはできません。
だって、既にそこにあるのですから。
だから自分から幸せを追い求める必要はないのです。
まとめ
幸せなんて中身のないものを求めるのはもうやめにしましょう。
なんていったって、もう自分の中にあるものですからね。
要するにそれに気づけるかどうかです。
たとえば、体調を崩した人が健康の大切さを知ったり、モノなくしてそのありがたみがわかったりというように、何かを失えば今まで幸せがあったということに気づきやすいです。
しかし、何も失わなければ幸せはないということではありません。
結局今、この瞬間を幸せと思えるかどうかではないでしょうか。
幸せは人それぞれでも、これは変わらないと思います。
あなたの幸せというおまけにこの記事が少しでも貢献できることを望んでいます。
日々の生活によりよいを
ノリ
コメント