こんにちは!ノリです。
最近、ニュースではテロや宗教の対立などが目立ちますが、わが国日本ではあまり宗教というものは意識されていません。よくよく考えたら不思議な国ですよね。
クリスマスはプレゼントを贈り、正月には初詣をして、盆には墓参りをしたり、ハロウィンがあったり、色んな宗教がごちゃまぜになっている感じです。
普段はさらっとしたテーマでやっているこのブログで、なぜいきなりこんな話をしはじめたかというと、先日こんな本を読んだからです。
この本を読んで、ちょっと日本の宗教について思うところがあったので備忘録も兼ねてまとめてみます。
先に断っておきますが、私は特定の宗教を信仰しているというわけではありません。多くの日本に住む人と同じように、いいところを取ってよりよく生きようとしているだけなのでそこを念頭においていだたけるとうれしいです。
日本の宗教の特殊性
日本の宗教事情はだいぶ特殊です。
平成26年の文化庁が行った調査では、仏教系が45.8%、神道系が48.5%、キリスト教系が1.0%、その他が4.7%とされています。この数は、合わせて日本総人口1.5倍にもなるため、日本人は単一の宗教を持たないということになります。
自分では「無宗教」だと思っていて、それを自嘲気味に語ったり、誇りに持ったりしています。
多くの場合は、この国は○○教の国とか割と説明することができますが、日本は統一された宗教がないので、そこを長らく劣等感として感じてきた歴史があるみたいです。
日本の宗教の歴史
日本には、もともと「宗教」という考え方自体が存在していませんでした。なぜかというと、宗教という言葉がなかったからです。
宗教という言葉が使われはじめたのは外国から翻訳されて明治時代に生まれました。厳密にはそれ以前にもありましたが、それは「宗派の教え」という意味であり、現在の「神の信仰」という印象とは異なります。
宗教という言葉が入ってくる前は、仏教という言葉もあまり使われなかったと、先に紹介した本にもありました。仏教はもともと仏道とか仏法と呼ばれていました。
しかし、近代になり外国の宗教観が入ってくると、宗教というものは一人の人間に1つしかあってはならないという考え方が広まったとされています。
たしかに、唯一絶対の神が何人もいてはおかしいですから、1つしか持てないというのにも納得できる話です。
しかし、統一しようにも、仏教は既に神道と強く結びついていて、切り捨てることはできなかったのです。
このあたりは日本史で習ったという方もいると思います。廃仏きしゃくによって仏教が排除され、キリスト教国のようにひとつの宗教でやっていこうとなったのです。
でも、できませんでした。そこでどうしたかというと、いっそ「神道は宗教じゃない」と宣言することでなんとかおさめました。これは後々「国家神道」と呼ばれることになります。
そして、近年になって新興宗教による強引な勧誘や事件、外国でのテロの脅威などで、ますます日本は無宗教の考えを強くしています。
実は宗教に熱心な日本
単一の宗教を持っていなくても、日本人の多くが意識せず宗教的な行為を行っていると思います。
初詣もそうですし、結婚式も、お盆もそうです。これらは半ば習慣的にやっているので、特別意識することはありませんが、それは海外でも同じです。
たとえばイスラム教徒などは礼拝や断食をして、宗教に厳格そうな感じがしますが、意外にも習慣的にやっているだけで特別意識していなかったり、食べ物にだけ注意を払ったりと、意識せずとも日常生活にしみついています。
そう考えると日本の宗教事情も同じに思えてきます。別に意識していないだけで、実は熱心なのかもしれません。
特に初詣に集まる人の多さを考えると、意外と納得できる話です。
日本について思うこと
日本の歴史をとらえなおす
これまではざっと上記の本についてまとめてきましたが、ここからは私の意見です。
今までの日本の歴史をたどってくると、島国ということで大きな戦争や侵略にあったことはなく、海の外、文字通り海外の文化や技術を積極的に取り入れてきました。
たとえば、今あなたが読んでいる漢字は中国から来ましたし、ひらがなだって漢字がなければ万葉仮名は生まれず、存在しなかったでしょう。
近代になるまで日本が多きな影響を受けたのは中国です。中国は他の国々と陸続きでしたし、様々な技術を持っていました。
しかし、一時期は鎖国をして、外交をしなかったときもありました。その理由は、キリスト教があったからだとされています。
日本の宗教はそれまで、神道と仏教が合わさっていました。そこに新しい宗教が入ってきて、警戒したわけです。そのため、布教をしないオランダ、中国などだけが貿易を許されました。
明治時代になると、鎖国による海外との遅れを取り戻すために、積極的に欧米文化を吸収して、文明開化を成し遂げ、列強の仲間入りをしました。
そして、途中戦争の狂乱の時代があり、現在に至ります。
ひとことで言っても、現在に至るまではたくさんの出来事がありました。でも、神道も仏教も今の日本に残っていますし、厳密に言い張るものではありませんが、文化としても習慣としても存在しています。
だから、日本はひとつの宗教にとらわれることなく、柔軟に考えられるのかなと思ったのです。
日本が持つ可能性
別に私は日本が特別好きだとか、嫌いだとかそういうわけではありません。だからこそ、自虐しすぎもよくないですし、威張りすぎもよくないと思うのです。
確かに日本には可能性があります。課題は山積みですが、その中にはどの国も経験したことのない課題もあります。
そのとき、日本は無宗教だというのがひとつの手がかりになるのかもしれません。
無宗教というのは特定の宗教に偏らないといことであり、神を信じないとか、どんな宗教も認めないということは違います。
インドでゼロが発見されたように、「無宗教」というのが「ある」のです。だからそのこととは決して恥じ入ることなく、誇っていいと思います。
宗教は人を幸せにするかもしれませんが、他人を不幸にすることもあります。
難しい問題ではありますが、私たちは考えていくことで前に進むことしかできません。
まとめ
日本に宗教はありません。でも無宗教という教えがあります。どこかに偏ることなく、色んな考え方のいいところを吸収して育ってきた島国だからこそ、日本だからこそできることがあるのかもしれません。
日々の生活によりよいを
ノリ
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