こんにちは!ノリです。
私たち人間は、普段生きていく中でわからないことってたくさんありますよね。
どれだけ偉い人であっても、何かの専門家であっても、全てを知っているということはないと思います。
学校の先生が何でもわかるわけではありませんし、職場の上司が全知全能はわけでもありません。
しかし、私たちは先生や上司から「わからないことがあったら聞いてね」と言われます。
そこでこう思います。「わからないことが何かわからない」と。
こういった経験はあなたにもきっとあることでしょう。
わからないことが何かわかれば聞くことができますが、それすらわからないので聞きようがありません。
そういった状況にあったとき、一体どうしたらいいのかを今回考えていきます。
考えをやめない
とりあえず、「わからないことがわからない」と言って解決してしまわないことです。
それはある種の思考停止で、考えることをやめてしまってはますます聞くことができなくなります。
簡単に開き直ってはいけません。わからないならわからないなりに考える必要があります。
「わからないことがわからない」状態とは、要するにわからないことを知らない、認識できないということです。
ただ単に「知る」ことと、「わかる」ことは別物なので、注意が必要です。
このブログでは、前者を「情報」、腑に落ちて自分の中に落としこんだ状態を「知識」と定義しています。
どのレベルを知識とするかは人それぞれですが、情報すら得ていないのに知識を得ることが不可能なように、わからないのにわからないがわかるということも無理なのです。ちょっとややこしいですが。
たとえるなら、お店に入っていないのにメニューを決めるようなものです。外にメニューがあれば別ですが、店内にしかメニューがなければ注文することはできませんよね。これがわからない(メニューを決める)ことがわからない(お店に入る)ということです。
わからないことがわかるというのは、メニューは決まっていないがお店には入っているという常態です。
そして、「わかる」というのは、メニューを決めて注文するということです。
これならだいぶわかりやすくなってのではないでしょうか。
ここで、先ほどの質問「わからないことがあったら聞いてね」というのは、このたとえの中では「ご注文はお決まりでしょうか?」なのです。
つまり、「わからないことがわからない」と簡単に言ってしまうのは、「ご注文はお決まりでしょうか」に対して「お店どこ?わからないけどいいや」言うようなものです。
確かに、お店に入る前から注文を聞く店員もどうかと思いますが(先生や上司はこれと同じことをやっています)、だからといってお店を探しもしないで諦めてしまうのもちょっと違うような気がします。
だからまずは、「わからない」を思考停止の言い訳に使わないことです。
これは、「わかった」も同様です。
わかったと言ってそれ以上知ろうとしないのは考えてないということですし、わからないといって知ろうとしないのと大差ありません。
とにかく言いたいのは、考えることをやめないということです。
そうすれば、何がわかって、何がわからないかくらいはわかるようになります。
わかることを挙げる
二つめんじ意識したいのは、「わかることを挙げる」ということです。
これは考えることをやめないことによってできます。
わからないことがわからないなら、「わかることは何か」というところからはじめてみましょう。
学校の授業であればわかるところまで戻ればいいですし、仕事であれば基本的なことを確認すればいいのです。
「○○は○○で合っていますか?」と逆に聞くことで、自分が何を知っていて、何を知らないのかがわかります。
自信がないところを恐れず聞きましょう。大抵の場合「わからないことがあったら聞いてね」と言ってくれる人はちゃんと聞いたら答えてくれますし、決して「そんなこともわからないのか」などとは言わないはずです。
そもそも、わからないことがわからないといってそのままにしておいて、重大なミスをしてしまう方が危険だと先生や上司はわかっていますから。
だからわかることを挙げてみることが大切です。それがわかると確実じゃなくても、聞くことで確認になります。
とにかく聞く
もう最後には、とにかく聞くしかありません。
聞かないと話がはじまりませんし、聞くことすらできないというなら、せめて話でもした方がいいと思います。
わからないことがわかっていれば簡単に聞いて解決することができますが、それがわからないのでれば、先生や上司と一緒に見つけるしかありません。
料理の例えでいうと、店員にお店を案内してもらうということです。
そうすれば大抵の場合わからないことが明らかになります。
このとき、簡単にわかったともわからないとも言わないようにしましょう。
考えて、わかることを挙げるのです。そうすればまたわかっていないことが出てくることもありますし、わかっているとして次に進むこともあります。
人と話せば案外何を知らないかが把握できるものです。
最終手段かもしれませんが、まずはコミュニケーションをとるということは大前提でもあるかもしれません。
まとめ
以上、「わからないことがわからない」時に意識したい3つのことでした。
- 考えをやめない
- わかることを挙げる、確認する
- とにかく聞く、会話をする
ということでした。
「わからない」ということは別に悪いことではありません。「よく無知は罪」というかもしれませんが、これは「無知の知」をうたったギリシャの哲学者ソクラテスの言葉です。
無知は罪なり、知は空虚なり、英知持つもの英雄なり ―ソクラテス
私はこれを「わからないと言ってわかろうとしないのは善いことではない。しかし、わかった気になってそれ以上わかろうとしないのもむなしいだけだ。大切なのはわからないなりに考えてわかろうとすることで、それが英知だ」と解釈しました。
もちろん合っている保証はまったくありませんが、また何か思いついたら書き足したいと思います。
大切なのは、わかった気にならず、わからないといってあきらめないことです。
それがわかれば、十分でしょう。
日々の生活によりよいを
ノリ
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